ぼくの細道 Feel and Meet
総括して

今回の旅について思ったこと
まずはMeet
人は一人では生きていくことはできない。一人だけなら生きていく価値は無い。
人という字は、人間と人間が寄りかかりながら辛うじて立っている事を表すのだと小学校の時の先生から教わった事が今でも印象に残っている。
一人で無いということは、「出会い」があるということ。
人と出会うということは、お互いに何らかの関係を築き、お互いに対して何らかの感情を抱くことだと思う。
街中ですれ違った人とは「出会った」事にはならない。でも旅先で「こんにちは」の一言だけでも交わせばそれは「出会い」である。
翻ってみて「出会う」ということはすなわち「別れる」ということでもある。
今回の旅で最初から最後までぼくに付き合ってくれた奴は、愛車だけである。でも旅が終われば、あいつは車庫に入ってしまう。永遠の別れでは無いが。
昔中学か高校の時に、人と出会うということを説明された記憶がある。
その時先生はこの様に話してくれた。
人が「生きていく事」を「線」に例えるなら、「出会い」とは「点」である。生きていく過程で線が交わる時が「出会い」である。点が一定期間繋がっている時は出会いが続いている事を示しているが、それぞれの人の線は絶対に同じで無いので何時かきっと「線」が「離れる」時が来る。それが「別れ」であると。
結局別れるのであれば出会うことは無駄、無意味なのか。いやそうでは無い。線は交わるものであり、出会いは必ずある。でも絶対に別れがある。その時、一瞬、一回、一日の出会いは二度と同じ物は無いし、またどの位の時間を共有できるかわからない。だから、その時、一瞬、一回、一日の出会いを大切にしなさい・・・と。
今回の旅でとれだけの人、ものと出会ったのであろうか。
ぼくは人生を40年弱生きてきて、今までどの位の人達と出会ってきたであろうか。

次にFeel
「出会う」ということは、出会ったから「感じる」ことがあるはず。
楽しい、悲しい、憎い、嬉しい、辛い、面白い・・・
その人に対して感じること、風景などについて感じること、それと「自分がどの様に感じている」かを感じること。
出会いがあり、別れがあり、それに対してどの様に感じるか。
それを感じている自分を客観的に見てどの様に感じてるか。
今回の旅のレポはその場その場で感じた事を歌い、読み、都々逸にしてみた。
かなり駄作も多いが、自分なりにその時感じたこと、あとで思い返して感じていたと思っていた事を自分なりには表現できたと思っている(自画自賛かぁ〜(爆))
歌にする時は、その時に自分がどの様に感じているかを31音(俳句だと17音)で表さなければならない。
これは「何」を「感じた」かを端的に表すことが必要となるため、自分が「何」を「感じた」のか良く分かる。非常に楽しい知的作業だった。
「感じる」という事を「感じる」ことが出来た。

そろそろまとめないと、とりとめが付かなくなってきた(笑)

今回の様な旅の形態は今後なかなかできないと思うし、西に向かいながら北から戻ってくるという一見無茶な行程も二度ととらないと思う。
日本の24都府県というほぼ日本の半分を9日間の短い期間で駆け抜けた記憶は今このレポを書いている時でも走馬燈の様に頭の中を駆けめぐっている。

人と出会い、風景に出会い、湯に出会い、食に出会い、そして自分に出会うことが出来た。

今回の旅はそんな旅であった。
さて、次はどんな出会いを求めて、何を感じるために、何をしようかな。


なぁーんて、自分で書いていて自分で格好つけすぎと感じてしまった。
でも、所詮HPなんて自己満足の世界だからご容赦ください。



最後にここまで読んで頂き、本当にありがとうございます。
厚く御礼申し上げます。


今回の主な行程
自宅−浜松−鳥羽−三重(松阪)−和歌山−鳴門−高松−大浦福寿堂−三朝−鳥取砂丘−
天の橋立(伊根)−敦賀−関ヶ原−郡上八幡−白川郷−富山−上越−寺泊−新潟−鼓岡(青キップ)−山寺−
−鬼首−松島−仙台−秋保−飯坂−自宅

全走行距離 2907KM
出会った道府県
茨城県
千葉県
埼玉県
東京都
神奈川県
静岡県
愛知県
三重県
奈良県
和歌山県
徳島県
香川県
岡山県
兵庫県
鳥取県
京都府
福井県
滋賀県
岐阜県
富山県
新潟県
山形県
宮城県
福島県
旅を終えて
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