ぼくの細道 Feel and Meet
5月5日 歴史との出会い
久々のベッドでの就寝。撤収がないのでのんびり起床。カーテンを開けると曇り。テレビの天気予報では午後から晴れになるとのこと。
今日の行程は歴史を感じる旅を過ごし、最後は上越市近くのキャンプ場でかのじょと4日ぶりのご対面の予定。
フロントに預けていた荷物を取りに行き、何度かエレベータを登り下りして荷物の搭載完了。少し気温が低いのが気にかかるが、まずは南方面の滋賀県へ向けて出発する。今日は行程が長いため、高速道路をがんがん使う予定。まずは北陸自動車道へ乗ることに。
お世話になったホテルアルファT→
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琵琶湖に近づくに連れ、山がどんどん開けて行き、やがて広い平野に出る。この辺りは戦国時代から何度と無く歴史の舞台になった場所が点在している。
地理的にも、北陸、上越から近江へ出るための要所であり、琵琶湖は重要な運搬ルートであり、また中山道、東海道、伊勢道の交わる地点でもあるため、数々の歴史の舞台になるにふさわしい立地である。。
余呉湖近くでは
賤ヶ岳。豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)が織田家の跡継ぎ問題で北陸の勇であり、織田家の筆頭家老である柴田勝家と乾坤一擲の戦をした場所。七本槍でも非常に有名な場所。
次は
姉川。ここは、浅井朝倉と織田徳川の連合軍が近江の支配をかけて両軍入り乱れて戦った場所。織田家の大きな危機の一つでもあり、この時徳川家康の戦いがこの後の戦国の模様に対して大きな影響を及ぼした戦いでもある。
ここを過ぎると
長浜。ここは秀吉が実質的に初めて城持ち大名として納めた土地であり、長浜という名前の「今浜」という地名だったそうだが、秀吉が「長」という文字の良さから地名を変えたという事で有名。今でも城下町の様子を伝える地名が点在している。
高速はこの長浜で降り、ここから関ヶ原へと向かう。
←ここが関ヶ原の一番の激戦地
石田軍と福島軍を筆頭とする東軍が激戦を繰り広げた
←滋賀県と岐阜県の県境
関ヶ原は言わずとしれた天下分け目の戦いの舞台。石田三成と徳川家康が実質的な天下統一をかけて乾坤一擲の戦いを繰り広げた場所。今も三成の陣地跡とか、一番の激戦地跡に石碑がある。現地に行ってみると、非常に狭い地域で戦っていた事がわかる。この小さな場所に何万人の「つわものども」が自分のため、家族のため、郎党のため、主人のために、まさに死力を尽くして戦った場所である。非常に感慨深いものがある。勝った陣営にいたつわものども達よ、はたまた負けた陣営にいたつわものども達よ、あなた達のたとえ利己的な思いからにせよ、ここで戦った事が今の我らの文化文明の礎になったことは間違いない。首塚の前では思わず手を合わせずにはいられなかった。
戦いが終わり、徳川家康が首実検を行った場所
神妙になってしまいます
ここでどっかで聞いたことのあるような一首(笑)
賤ヶ岳 姉川越えて 関ヶ原
            兵士どもの 夢の跡かな
ここからは、岐阜市を抜けて郡上八幡へと向かう。郡上八幡は、水と歴史の街。その昔、岐阜が美濃と呼ばれていた時代からその歴史は連綿と続いており、長良川のほとりにあるとても静かな城下町である。
今も古い町並みが残されており、車が通ることが出来ないような路地もあり、湧き水がたくさんある。軒先には、何気なく水飲み場がある。
←生活に密着していることもあるせいか、水の使用方法が決められている
↑こんな古い看板がたくさん掛かってます
ここからは北上して、ひるがの高原を抜けて白川郷へと向かう事に。
車の数も少なく、長良川がどんどん細くなるのを見ながら北上し、長良川の源流でもあるひるがの高原へと到着。ここは全国でも非常に珍しい、国道のすぐ脇に分水嶺があることで有名な場所。ここで湧いた水が南側に流れると長良川を経て太平洋へと注ぎ、北側へ流れると庄川を経て日本海へ注ぐ。ちょうど人もいなかったので、日本をまたぐ男(笑)になって記念撮影を済ます。
滋賀県と岐阜県の県境→
←古い町並みが住民の人たちの努力で保存されています
宗祇水が有名で、不思議な感じの場所である。水は非常に不思議な場所から湧いていて、水飲み場から洗い場までがしっかりと区分けしており、今も人々に利用されているという感じが伝わってくる。
GW最終日という事もあり、観光客もまばらでのんびりした感じがとても良かった。
この石の後ろ側から水が湧いていて、
日本海と太平洋に流れが分かれています→
気分のみ大きくなったところで、白川郷へと向かう。途中御母衣湖をせき止めているロックフィルダムの珍しい風景をバックに記念撮影を済まして白川郷へ到着。天気が良ければ白山の大きな姿を目にすることができるのだが、今日はガスがかかっていて見えない。白川郷全体が良く見渡せる高台に移動して白川郷の全景をパチリ。
車が多いのが玉に瑕であるが、さすがといえる景色である。
↑岩を積み上げた様な形のロックフィルダム
実際に見ると少し異様な感じがします
↑ここに来るたびに同じ場所、同じ格好で写真を
撮るのが恒例になっています
↑展望台から見た白川郷の全景です。
一度雪の降る季節に訪ねたいなと思うことしきり
宗祇水は地面から水が湧いています→
ここまでほとんど高速道路でつながっており、あと数年経つと全てが高速道路でつながる事になるとの事。郡上八幡から白川郷までは下道で走ったが、高速道路を使用する意味が果たしてあるのか、とても疑問に思ってしまう。地域振興という名の下に、便利になるという事のみが強調されて作られる高速道路。果たしてどうなのだろうか。

ここで一首
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関ヶ原 郡上八幡 白川郷
          歴史をつむぐ 高速の旅