ぼくの細道 Feel and Meet
5月3日 不思議な出会い
昨日一昨日とフェリーには祟られていたけど、今日は大丈夫だろう。何せ1日53便もある「宇高国道フェリー」だもん。海の上でも国道というのはとっても不思議な感じがする。
高松市内を抜け、フェリー乗り場に到着すると出発5分前。バイクはぼくを含めて3台のみ。
車の数も意外と少なく、結構ガラガラ状態。瀬戸内海を渡る船のためか、バイクのタイダウンはせずに、いわゆる車止めを車体の下に置いただけで出発。やっぱり海が穏やかなんだろうね。
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今日の予定は、このツーリングで唯一決まっている日。
昨年大キレットを越えた際に、恐らく1時間と変わらない位でキレットを越えたもんすいさんと初めてのご対面をする日。もんすいさんとは偶然にもネットの掲示板で知り合い、その後バーチャルなお付き合いが続いていた。
今回のツーリングでお住まいの近くを通る事になったので、折角の機会なのでお会いしましょうと言うことになった次第。一応お昼前に待ち合わせ場所に着くように計画を立てることに。
朝起きると今日も晴れ。前日の天気予報では下り坂という事だったが、何とか持ちそうな雰囲気。

昨晩地元のお友達(笑)とお話をしていた隣のカップルは、GWいっぱいかけて四国をぐるっと一周するそうで。荷物もまとめて朝飯も食べずに早々のお発ちです。
ぼくはブラブラと散歩しながら、朝靄に煙る瀬戸大橋と坂出の街を眺めながら撤収にかかる。

←こうしてみると荷物が多いのがよくわかる
フェリーでは明日の雨を予想して、また我が愛するチームの動向を探るために新聞を購入し久しぶりのまとまった活字にご対面。乗船時間は一時間程あり、いけないとは思いつつも携帯電話の充電で電気を少し拝借させて頂きました。途中甲板にでると高松から岡山の遊園地に遊びに行くという6人くらいの小学低学年の子ども達と暫しのお遊戯時間を過ごす。持ち合わせのチョコレートをあげたらとっても喜んでいた。
瀬戸内周辺の人たちにとって船に乗ることは一つの交通手段なんだなと実感する。
宇野に到着する頃には太陽も顔を出し、とっても良い感じの日和になってきた。フェリーを降りてから、すぐにもんすいさんへと連絡を取り目的地目指して出発。
途中岡山ブルーラインという少し前まで有料道路だった道を快適に走る。ただ車が沢山いるので流れに乗ってのんびりと走る。しばらく走ると対向車の何台かがパッシングをしている。
「ははぁーやっているな」と思ったら案の定ねずみ取りの人たちがGWにも関わらずご苦労様状態でいました。でも一台捕まっていた。何気なくスピードを出していたら赤キップだね。皆さんも気をつけましょうね。
途中のパーキングでは小豆島が目の前にドカンと構えていて、その大きさにちょっとびっくり。
↑小豆島です
実際に見るともっと大きく見えます
瀬戸内と坂出の街を見ながらふと思ったが、高松市周辺には平坦な街中に突然△の山が沢山ある。まるで白い建物の中に緑の山がポツンポツンと浮かんでいる様に見える。
そのまま目を瀬戸内に向けると、青い海の中に島がポツンポツンと浮かんでいる。
地質学的には何か面白いことがあるんだろうなと思ってしまった。これは岡山に上陸した時も思ったことであるが、海沿いには少し小高い山がポツンポツンとあり、そこから平野があり、又山へと続く地形になっている。俯瞰すると面白いんだろうな、きっと。とくだらない事を考えている間に、荷物をパッキングしていざ出発。まずは瀬戸内海をフェリーで渡ることに。
目的地に向かいながらのんびりと通りを走りつつ感じた事がある。それはおだやかさである。
これは茅ヶ崎とか九十九里とか大洗とかの関東の海の近くを走るのとは全然違っている。海と山の近さがそう感じさせるのか、気候がそう感じさせるのか、特に誰と話をしたわけでは無いが「おだやか」という強い印象を受けたのはとっても不思議な気がする。
そうこうしている内に待ち合わせ場所の蕃山ICに到着すると、前方に止めてあった車から人が降りてきた。
一発で分かった。もんすいさんだ。後でお聞きしたお話ですが、もんすいさんもぼくが来る前に何台かのバイクが来たが、ぼくが来たときは一発で分かったって言われていた。なんか縁みたいな物があるのかな。
ここで一首
↑キャンプ場から見た朝焼け
↑瀬戸大橋方面の景色
↑坂出の街
山が島のように思える景色
←もんすいさんの仕事場で
障子、襖、掛け軸などがご入り用の歳には大浦福寿堂まで是非(笑)
ヘルメットを脱ぐ間も無く、挨拶を交わしてからもんすいさんのご自宅へと向かう事に。
旅先で、しかも今まで一度もお会いしたことがない人とこの様に播磨の国で会うというこの不思議さ。
山に登るという以外に、職業も年齢も住む場所も
一つの共通点も無いにもかかわらず、ネットというバーチャルな世界から始まるお付き合いの不思議さを感じながらもんすいさんの後をついて行き、無事にご自宅に到着。
もんすいさんは、「紙」を扱うお仕事をしており、ぼくにはどの様な仕事なのか想像もつかない。大正時代に開業されて平成の今に至るまで続いているというお店のご主人。また同時に煙草屋さんでもある。自分がたばこを吸わないからかもしれないが、最近煙草屋さんってすっかり見なくなったなぁと思う。
播磨という地域について走りながら、お話しながら感じた事として、正直大きな建物とか、病院とかの有無のみで見れば、ぼくが住んでいる街(といっても田舎だが)の方が現代的かもしれない。でも「
文化の成熟度」という観点で見た場合は競争する訳では無く「全然かなわない」といった感じが街中に漂っている気がする。この播州という国は何百年の昔から中央(京都)の影響を受けつつも、独自の文化圏を築いており、その歴史の深さはとても関東の及ぶ所では無い。恐らく建物一つ、道のつながり方一つ、その地域に住んでいる人たちの振るまい一つが「文化」として熟成されているのだと思う。恐らくこの様な場所に住んでいないために余計にそれを感じてしまうのかもしれない。旅に来ているからそう思うのかもしれないが、こんな風に感じているぼくをぼくは面白いと感じていた。
←記念撮影です
←奥様の手料理のお昼ご飯です
今回の旅で一番のごちそうでした
バーチャルの友の存在確かめに 
          キレット越えて 播磨の国へ
もんすいさんとは、山の話、街の話、自分の話など時間がたつのも忘れ、色々なお話をさせてもらい、しかもお昼には奥様の手料理まで頂いてしまった。これが又美味しいの何のって。奥様は田舎料理と言われていたけど、ぼくは大好きである。食事中にも会話を楽しみながらあっという間に平らげてしまった。ごちそうさまでした。今日はこれから鳥取まで行かなければならないので、一時頃には出発する事にした。
お別れの間際に奥様が「まるで息子と話しをしているようだ」と言われたことと、おしゃべりをしている間のもんすいさんの笑顔が今でも印象に残っている。
ここで一首
播磨路(はりまじ)の たばこ屋さんの 軒先の
             ほんのひととき 我が家の気分
パイプの看板は気に入ってしまいました→
という感じがして、今回の旅の良い思い出になった。突然の訪問にもかかわらず、快く迎えて頂いたもんすいさん&奥様ありがとうございました。
播磨の父母と勝手に呼ばさせて頂きます。って迷惑ですね(笑)
ご自宅の前で記念撮影をしてから出発。
これから三朝温泉へ行ってから鳥取砂丘まで一走り、って何キロあるんだ(爆)
     
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