2003.11.16 奥多摩の隠れた名山 蕎麦粒山へ その1
      
11月16日  
最初は秩父の両神山に行く計画が、この時期の日帰りでは少し時間の制約が大きいということで、一転奥多摩に行くことに。さて何処に行こうか。そうだ蕎麦粒山に行こうと思い、今回の参加者である栗山さん、やなぎさん、参号さんに連絡を取り、両神では遠慮していたTOMOEさんにも念のため連絡し、結局5人で登る事になる。
朝8:30に奥多摩駅に集合と決め当日を迎える。色々な事があったが参号さんは都合が悪く不参加となったが無事予定時刻に集合でき、一路日原へと車を走らせる事に。
テレビでは奥多摩が紅葉の真っ最中であると放送していたので期待して登り始める。
駐車場に車を止め、準備も完了。登山口で記念撮影を終え出発。紅葉まっただなかという情報はまるで嘘(笑)。葉も落ち切っていて視界も開けているのでこれもまた乙なもの。でも所々には、季節感を無視したような紅葉がチラホラと見受けられる。登山道は意外と急坂。落ち葉の絨毯の中、どんどん高度を上げていく。

↑登山口ではいポーズ
↑休憩中の一こま
↑所々に赤く染まったもみじがあった
↑葉も落ちた冬枯れもまた良し
↑何でこんな形になっているか不思議
休憩を挟みながら急坂を登り、時々現れる紅葉を堪能しながら冬枯れの山道を登っていく。
途中「何でこんな形になるのか」という木をながめつつ登り続ける。
ヨコスズ尾根は石灰岩の鉱山の敷地の横を登っていく。
急坂を越えると尾根沿いの稜線に出る。後を振り返ると雲取から奥多摩駅に続く「石尾根」がデンと構えている。
右を見ると「川乗山」の姿も見えてくる。
少し古い「山と渓谷」の登山ガイドでは、東日原から一杯水避難小屋まで2時間の行程となっていた。今回は荷物も軽いことと出発時間が遅い事もあるのでいつものペースより早めに歩くが、2時間を過ぎても一杯水避難小屋に着かない。地形図で現在位置を確認するとまだまだ途中であることが解る。
ガイドに書いている時間は著者によって全然異なるので、やっぱり自分で距離、標高差を元に基準時間をあらかじめ計算しておく必要があると実感する。
なんとか無事2時間30分を経過したくらいで一杯水の避難小屋に到着。時間が早ければ「天目山」にピストンする予定だったけど今回は見合わせる事にした。(時間があれば帰りに登る事にした)
避難小屋の前にあるベンチで行動食に毛が生えた程度の食事を済ませる。
ここでちぃにぃが足につけて登っていた、最近はやりのパワーアンクルを元気印丸出しのやなぎさんに薦めて見た。
断られるかと思ったけど予想外(いや予想通りか(笑))にも嬉々と装着していた。
↑おにぎりと唐揚げの簡単な食事中です
↑一杯水の避難小屋の中 とっても綺麗
↑パワーアンクル装着中の図です
ここから蕎麦粒山へは長沢背稜という名前の尾根沿いの道を歩く平坦な道。北側には秩父の街が見え、右側には石尾根の姿が。
登山道はとても歩きやすい道だが、あまり人が歩いていない様な感じ。
枯れ葉の絨毯を敷き詰めてある道を淡々と歩く。聞こえる音は枯れ葉を踏む自分の足音と風の音だけ。
こんな山歩きもとっても気持ちが良い。行き交う人もほとんど無く、我らのチームのみがこの静けさを独占している優越感に浸りきりながら歩き続ける。

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枯れ葉をかき分ける映像を
wmv2形式 16秒 307kb

クリックして
一杯水の由来となった水場の風景
wmv2形式 4秒 268kb
歩き始めて一時間で蕎麦粒山の頂上に到着。川乗山方面から登ってきたと思われる数人のグループがお弁当を広げていた。
頂上にあるはずの「蕎麦粒山」の看板が無い。よく見るとルート案内板に手書きで「蕎麦粒山」と頂上の印が書いてあった。まぁこんな山があってもいいかな。
一応ピークハントの証拠として記念撮影を。山頂は東側が開けており、恐らく八王子か立川方面と思われる街が遠望できた。本当は富士の雄姿も見えるはずだったけど予想以上の気温の高さのせいのためは薄いガスがかかっていて展望は無かった。
←けいこが指さしているのが
頂上の印
恒例となった各人の手手手→
ここからは来た道を引き返す事に。でも稜線の途中にあった看板が気になっていた。看板には「倉沢へのエスケープルート」とほとんど消えかかりそうな文字が記入されていた。実は登りの途中に出会った(恐らく)猟師さんとの短い交流で「同じ道を帰ってきてもおもしろくないから倉沢に降りると良いよ」とアドバイスを頂いていた。看板を見たときからみんなと「あそこを降りよう」という暗黙の了解みたいなものが出来ていた。(実際は相談していたんだけどね)
行きは迂回した仙元峠への、もの凄い急坂を登り、行きに確認した看板まで到着した。
ここからのルートは地形図にも載っていないし、ガイドにも説明も無い。地形図を確認すると尾根が倉沢谷へと続いて降りることが出来そうに思えた。
正直どうしようかと迷ったが、最悪今いる分岐点まで戻ることを覚悟しながら(でもメンバは戻ることなんか想定していなかったかもしれないけど)尾根に沿って降りることにした。(往路で出会った猟師さんの口調から特に問題は無いと判断していた事がこの決断(大げさかな)の決め手となった)
↑仙元峠は奥武蔵(名栗)方面への分岐となっている
↑恐らく鹿と思われるものの糞が沢山あった
ここにエスケープルートと手書きの案内が