公判を開くとその後に毎回裁判で使用した書類が送付されてくるんだよね。
前回の裁判では、カルテを日本語に翻訳した結果を証拠書類として提出したので、これがどさっと送られてきたんだ。
ページにして数百ページ分もあったんだな。

地裁で弁護士さんに「資料は送ってもらわなくても良いです」と言ったら、「そんなわけにはいきません」って言われました。
まぁちぃにぃは当事者なので、内容について把握しておくということは建前上必要なんだろうけどね。

で、先日その資料について目を通してみたんだな。
今までもカルテは何度か目にしてきたんだけど、今回は看護記録とか、カンファレンスの記録とかも一緒に入っていたのでちょっと興味深くじっくりと見てみたんだよ。
普通に考えれば当たり前の事なんだけど、「患者が精神的に依存している人は誰か」とか「患者が金銭的に依存しているのは誰か」とか、「世話をされるのが好きか嫌いか」とか色々と患者の状態を分析する資料も含まれているんだよね。
まずこれを読んでみて、人一人を入院させて、その命を守るために病院が医者が看護士がどれほどケアしているかということに改めて驚かされたんだ。
病院というのは看護師も沢山いるし、大きな病院ともなれば医者も複数いるし、看護士間の引き継ぎなどもあるので、患者というものを客観的に分析できる資料を用意しているんだよね。
先にも書いたけど、当然のことと言えば当然のことなんだけれどもね。
それから、毎朝何気なく看護士の人とした雑談についてもしっかりと記録されているんだ。
気分はどうだとか、痛みがどうだとか、精神的な問題とか・・・ 看護婦さんきれいですねとか(爆)
元気がよさそうだとか、落ち込んでいるとか、辛そうだとか、定量的に測ることが出来ないことについても、看護士がある一定の基準をもとにして記録しているんだよね。
いやぁー感心しました。
病院をなめちゃいけないね

で、今回この書き物を書こうとした理由というのが、カルテの中にある事故直後の記録を再度読み返してみて、改めて事故のすごさを思い知らされたから。
改めて、本当に奇跡というか僥倖というか、悪運が強いというか、何にせよ本当に凄い経験をしたんだなということを改めに思い知らされたんだよね。

事故直後の状況で、最初は立って歩けるほどの状況だったのが、一定時間を病院で過ごしたあと、それこそ血が頭から抜けていくのが解るほど一瞬で立っていること、いや座っていることができない状態になった時の様子が克明に書かれていたりして・・・
それから、事故の時にお腹が強く痛むと訴えていたことが、実は内臓に非常に大きなダメージを受けているので、今の時点では何ともなくても、数時間後、一日後に様態が急変することがあるということを家族に伝えていたとか・・・

今考えると脊椎の骨折などというのは比較的症状が軽微なもので、外的治療で治癒することはあるかもしれないけど、内臓を始め体全体が受けたダメージ(=全身打撲)というのは、目に見えないものであるから尚更怖いんだということを実感したんだよね。
本当にこうして何気なく暮らしてる今があるのは本当に奇跡なんだよね〜

カルテを読んでいるときに思い出したのが、ノリックこと阿部典史さんのこと。
彼は2007年10月に交通事故で無くなったんだけど、世界的にも人気のあるオートバイレーサーで、一部の人にとってはアイドルを通り越えた存在なんだよね。
かくいうちぃにぃも彼が非常に大好きで、事故死したことを聞いたときは本当にショックだっただ。
そのノリックが事故に遭ったのは大型スクーターで走行中にUターンをしていた大型トラックに突っ込んだというもので、事故直後には普通に話をしており、「あぁ事故ってしまった」という感覚だったのが、しばらくしてから容体が急変して死に至ってしまったということなんだよね。

人がそこからいなくなる(=死)というのは、実はゴクゴク普通にあることだし、何時自分が、家族が、友人がそこからいなくなるかもしれないんだよね
それが理不尽なものであれ、因果応報であれ、必然であれ・・・

で、結局何が書きたいかというと、こうして生きていられることが非常にありがたいことなんだということ

それと、これだけの目に遭ったのだから、裁判では沢山お金をもらうぞと改めて誓ったということ(笑)

なんて、こんな事思ったなんて本気にしないでね(^o^)

ということで、この先2月ほど裁判がないのでちょっと雑記的にかいてみました。
  終わりへの道のり