2011年 2012年 準指導員検定レポ  こんな人が指導員になってよいのでしょうか(笑)
<06 いよいよ本番 運命の日>
検定は土曜日と日曜日にあります。
で、土曜日の朝入りするほど度胸はありません。
受験の受付は金曜日の夕方と夜、そして当日の朝の三回があります。が、ほとんどの人は前日入りしているみたいでした。

ということで、前日金曜日から現地入りして最後の調整をします。この時期にしては雪の状態も良く、天気も週末にかけて良い感じです。

滑りの調子もそこそこでこの調子ならば一発合格か〜なんて淡い夢を抱きながら、調子に乗って滑っていました。

で、運命の日、運命の時間が来ます。3月11日午後2時46分です。

ちょうどファミリーコースを滑っていたんです。
リフト乗り場に来てリフトに乗り込もうとしたんだけど、リフトが突然止まりました。係員と話をしたらちょっと強い地震があったのでリフト止めましたということだったんだよね。
ふーん、そうなんだ〜と思っているとリフトが動き出したのでそのまま滑り続けます。

何本か滑っていると、携帯電話で話をしている人の声が聞こえてきました。「仙台で震度7の地震があったんだって・・・・
我々はふーん、そうなんだ〜と思いつつ滑り続けます。

東北地方でものすごいことが発生していることを知らずにね。
で、リフト営業終了の時刻が来たので宿に戻ってお風呂入ってお食事タイムで食堂に行ってテレビを見たら・・・・

開いた口がふさがらないとはまさにこのこと。テレビでは仙台の港で車がプカプカ浮いている映像とかが流れていたんだ。
でも、かなり遠くで起こっていることで、まさか明日の検定に影響があるとは思っておらず、テレビを見ながら食事をして部屋に戻って学科に備えて多少お勉強。

夜になって、被害がどんどん深刻になってくるのがわかり、サポートとして明日の朝に現地入りする人達から、電車が動いておらず家に帰ることができないので明日はいけないかもという連絡が入ったりしていたんだよ。

夜が更けて行くに従い、明日の検定をやるのかやらないのかがどんどん不明瞭になってきていて、白馬で開催されている全日本技術選は即時中止になったという情報を得て、明日はやばいのかな〜なんて思いつつ眠りにつきました。

夜中の12時過ぎにSATのホームページに検定が中止という掲示がされたという情報をゲット。

正直、現地の悲惨な状況は頭では理解しつつも、自分たちを含めて400人近い人たちが一年かけて練習してきたことが無駄になるという思いが先に立ってしまい、眠りにつくことができなかったんだよね。

なんて思っていながらもやはり睡魔には勝てずに眠りについていたんだけど、夜中の3時59分に突然ゴーという地鳴りとともにものすごい揺れが襲ってきたんだよ。

3月12日に発生した長野県栄村を震源とする地震だったんだ。携帯電話のエリアメールはブイブイ鳴り続けるし、揺れはすごいし、イヤーいよいよ日本もおしまいかなんて思いつつもそのまま朝まで寝て過ごしました。でも何度も強い揺れで目が覚めては寝るの繰り返しだったんだけど。

で、朝起きて朝食に食堂に行くと、一緒に宿泊していた人たちは皆、夜中寝られなかったみたいです。
我らの部屋は新館で揺れは比較的少なかったんだけど、旧館の部屋にいた人たちはものすごい揺れと建物のギシギシいう音がすごくて死ぬかと思ったと言っていました。

当日一緒に宿泊していた三重県から来ていた女子大生のグループはあまりにも強い地震で恐怖におびえて食堂で泣きながら一夜を過ごし、宿のご主人もそれに付き添っていて、明るくなった時にすぐに帰宅したみたいです。

で、朝食を取りながら再度SATのHPを確認しても検定は中止であることを再確認

受付窓口に連絡すると、開会式だけはやるので集合してくださいということだったので、普段着のまま車で集合場所まで行きました。
SATの役員始め専門員の人たちも私服で着ており、今回は地震のため苦渋の選択により検定は中止(当時は翌週に延期?だったか)となりましたという報告がありました。

検定へ参加する人の9割以上の人たちが集合しており、満を持して臨んでいること、天候も最高、バーンも最高の中での中止という選択であり、本当ならが文句が出てもしかたない状況だったんだけど、そこは皆さん大人であり、状況を納得していました。

ちぃにぃもまぁ仕方ないかなって感じでいました。
リフト二日券を購入していた人は返金があるという情報もあり、その日は一本も滑らずに帰宅することにしました。

地震があったことが嘘のような最高の天気の中、帰路につくのでした。

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