2022年 三年越しの九州の旅 二日目 2022/5/3
さて、今日は鹿児島の中心部をゆっくり楽しみます。 九州に行く前にはどこを走ろうか、どこに行こうかとということを考えてもイメージが湧かなかったんだよね。 それは、地理的な方向感覚がないことと、距離感が全く解らないこと。 あとは知らない場所がたくさんあることなどが理由なんだろうね。 これは、初めて中国四国地方にツーリングに行ったときにも感じたことで、 その時は主要都市の間の距離を測って自分なりに地図を作ってみたけどね。それでも良く解らなかったな〜 でも、昨日一日だけ走っただけで、何となく距離感というか鹿児島の大きさが自分のイメージに入ってきた感じです。 なので、こんな感じに走って、この時間ならこの辺りに行こうかな〜なんていうような感覚が出てきました。 まぁでも、それもその時の時間の関係で一気に変更もあるという旅です。 キャンプならばそれがもっともっと自由になるのだけども、今回は宿を最初から抑えているので少し制約はありますが、 基本的には風の向くまま、気の向くままの旅を満喫したいと思います。 そうでなければ旅ではありませんし、ソロツーリングでもありませんのでね〜 ということで、旅4日目、九州2日目の朝になります |
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日の出時間が5時30分で部屋が海側にあるので 日の出を見ようとちょっと前に起きました。 海を見ると海面にはガスがかかっていたので、 日の出は見れなかったけど、 少し経つとお日様が明るく光ってきました。 今日も晴れ、晴れ男の面目躍如は続きます。 |
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朝に少しジョグをしようと思い、 指宿温泉の中心地まで行くことにしました。 昨日の夕方に走ってみたけど具合が良いので 少しペースを上げて走ってみます。 最初はキロ6分30秒くらいで、 一番速く走った時にはキロ4分40秒くらいのペースでした。 それでも、ふくらはぎには問題が無かったので ほぼ治ってきた感じかな〜 |
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指宿は古い温泉街でどこにでもあるように やはり寂れている感じが否めませんね。 関東地方のように人が多く、 高い旅館でもそこそこ人が行くような場所であれば 良いのかもしれないけど |
ここが砂むし会館の砂湯です。 海岸にあります。 |
恐らく地元の人達はわざわざ高いお金を払って 指宿温泉には行かないんだろうと。 首都圏関西圏などからの旅行客がメインだと思うけど、 それだとリーピーターなどのそれほど多くないと思うし どうしても経営的には難しくなってしまうような気がします。 高級旅館は人も集まりやすいけど、 民宿みたいなところなどは難しいような気もするね。 インバウンド期待なのかな〜 |
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帰り道にはハイビスカスが咲いていたね。 北の大地のハマナスって感じかなって思ってしまいました |
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走り終えた後は温泉でまったりします。 この宿の温泉は結構好きです。 硫黄泉ではなくとも良い温泉は良い温泉だね。 朝食はビュッヘタイプのおなじみの料理です。 可も無く不可も無くという感じかな〜 今日はノンビリ観光がメインなのでゆっくりしてから出発です |
やはり古い宿なんだよね。 エレベーターのボタンがこんな感じでした。 The昭和って感じで懐かしかったです。 バブル時期に建てたホテルなんだろうね〜 宿からは9時に出発です |
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さて、まずは指宿スカイラインへと向かいます。 鹿児島市内から池田湖近くまで稜線沿いを走る有料道路です。 で、その利用料金がなんと100円というもの。 走った感覚としては伊豆スカイラインよりも走りやすいし、 車の量なども少ないし、景色はとっても良いです。 これが100円という料金設定はどこから来ているのかが とても不思議な位です。 アップダウンがたくさんあり、 適度なコーナーもあるためとっても愉しめる道路です。 |
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こんな道が続きます。時々錦江湾も見えます。 アップダウンもありますし、道が広いし路面も良いです。 車の少ないしとても素晴らしい道ですね。 指宿に行ったら是非走ることをお奨めします。 |
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道の途中には幾つかビューポイントとして展望台があります。 その一つである、樋展望台にお立ち寄りです |
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少し進むと、指宿スカイラインの一番の望ポイントである 錦江台展望公園がありますので、お立ち寄り まぁそれなりの風景が待っています(笑) 次の目的地は知覧です。 少し来た道を引き返す感じで先へ進みます。 |
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知覧には武家屋敷と平和記念館がありますが、 まずは武家屋敷へと。 駐車場がどこかと看板の前にバイクを止めると 軽自動車のおじさんが寄ってきて窓越しに、 そこにバイクを止めて良いよと声をかけられました。 どうも駐車場の持ち主なのか自分の庭に止めて 良いよ的な感覚で話してました。 |
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で、少し会話すると「つくばから来たのか〜、 俺の知り合いは桜川にいてさ、よく飲んだっけな〜」 ってな感じのことを話していました。 地元の人達と短い時間だけども何気ない会話が できるのも旅の一コマとして良い思い出になります。 バイクを止めて武家屋敷の残っている通りに行ってみます。 観光客は全体的に少なく、通りに誰も居ない状態もあります。 この辺りが関東地方とかもっとメジャーな観光地と 鹿児島という場所の違いなのかななんて感じま |
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しかし、人がいない |
天気良くて最高だけど、夏だと辛いね |
武家屋敷の庭園などを有料で見学することも できるようですが、それほど庭園に興味もないので 辺りを散策しながら見学してました。 台風が多いのか、石で作られた壁などが印象的だったね。 雰囲気があります。やはり南国という印象を受けますね。 無料で見学できる屋敷も幾つかあるので、 中に入ってみます。 色々な説明がありますが、ちょっとおいらの 気持ちとかには入ってこなかったな〜 |
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で、お次は知覧平和記念館へと進みます。 言わずもがなの、特攻隊の基地として有名な知覧です。 以前から行きたいと思っていたので、 今回の旅の目的の一つでもありました。 |
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まぁ詳細な内容をここで書くこともないけど、感じたことを少しだけ書いてみま。 この記事を書いている今、2022年4月から5月にかけて、ロシアがウクライナに攻め込んでいます。 誰がなんと言おうと戦争です。 人間として人間を罪に問われなくて殺人をしても問題とならないという良く解らないルールの下で 人間と人間が戦うというものです。色々な考え方もあると思うし、それぞれの立場で正当性を語ることもあると思います。 戦争自体の是非については、もはや語るまでもないのですが、一番気になることは戦争をしているのは庶民ですが、 戦争を始めるのはその時の為政者である国のトップにいる人達です。 その人達が何を考え、どうして戦争という手段を選択するのかということについては、 これも色々な考え方があると思いますが、為政者が戦ってこいということを命じると兵隊は戦いに行きます。 そこで何をするのかというと、人を殺すことです。 これは相手を殺すことでもありますが、為政者は自国民を殺すことを命じるものでもあります。 思想、宗教などのために命をかける、自分の愛する人、ものを守るために命をかける。 それはそれで良いかといわれるとなんとも言えないけど、それが人間の歴史の一つになっていることは事実であり、 そのこと自体を否定はしません。 でも、この特攻隊は、一体なぜその手段をとるのかということについて理解をすることが出来ません。 また特攻隊として自分の命を捨ててまで何かを実現することを前提として、絶対に帰ってくることができないことを 命じるという行為は一体どのようなものなのか。 知覧には特攻隊として旅立つ前に書いた遺書、絶筆がたくさん残っていて、 その内容についてはまともに読むことができない、涙無くしては読めないようなものがたくさんあります。 人が読むものとして意識しているのか皇国とか、今の感覚では(当時もか?)理解しがたい、 したくないようなことを賛美しているような感じのものもあり、やるせなさが出てきたりします。 三角兵舎という出発するまえにこもる宿舎で17歳から22歳くらいの若者が何を考え、どの様な気持ちで過ごしていたのか。 ちょうど、司馬遼太郎の坂の上の雲という作品を直前まで読み返していた中にも書いてあったけど、 明治維新のころから世界に並び立つための色々な教育を施した当時の若者達が 太平洋戦争の時のトップになり、その人達が起こした戦争。 何故戦うのか、当時の時代に生きてみないと理解はできないと思うけども、 でもやはり自分の命と引き換えとすることのみを前提として行う特攻という行為は為政者の 無能を示すものの何ものでも無いと思う。 どこか、違う世界で起こっている、今で言うならばブラウン管の向こう側、又はゲームの世界の中で繰り広げられているものに 対する感性しか当時の為政者は持っていなかったのか。 いつの時代でも、戦争を起こすのは為政者であるが、その被害に合うのは兵隊といっても庶民である我々である。 やっぱりやって良いこととやってはいけないことっていうものはあると思う。 程度と限度もあると思う。今、パソコンに向かい平和な時代しか過ごしていないおいらがこんなことを思い、 書いていることはいかがなことかとは思うけど。 でも、この様な事実があったことをそのまま生の姿で全ての為政者の人達には自分のこととして見て欲しいと思う。 やっぱり、きちんと言葉にすることは難しいね。 なんて思いを記念館を歩きながら考えていました。 というような複雑な感情を抱きながら記念館を一周します。 広島の平和記念公園とこの記念館は是非とも若い人達に来て欲しい場所の2つだね。 あと長崎の公園のだな。あとは、沖縄のひめゆりの塔かな〜 何をどの様に感じるのかは解らないけど、日本人として人として知っておくべきことの一つだと思う。 |
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ということで、先へ進みます。 ツーマプに出ていた場所に行くと超満員で並んでいるも なので、先へ進みます。 鹿児島市内へ向かう途中でおそば屋さんにお立ち寄り めんつゆが甘いのは鹿児島だからなのかな〜 |
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昨日から鹿児島にいるけど、 我が家とかへのお土産をどうしようかなって考えていました。 色々と考えてさつま揚げをおくることにしました。 調べてみると揚立屋さんというお店が有名みたいなのと チェーン店であちこちにあるし、道のりの途中にあるので 早速寄ってみます。 |
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関東地方への送料は1300円超えということもあり、 結構な価格になったので、無料プレゼントがあります といわれて、さつま揚げを5-6枚もらいました。 でも食べられないよな〜なんて思っていたけど 後で見事解決しました。それは後の話として 一番人気のチーズ入りさつま揚げを頂きます。 美味しいね〜やっぱり地元は違うのかな〜 で、 我が家と幾つかの場所にお土産を送って次へ進みます。 |
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鹿児島市内は市電として路面電車が走っている 数少ない都市の一つです。 どちらかというと西日本地方の方に多いような印象を受ける けどな〜 富山にもあるから雪の多さとかは関係ないのか 交通量の問題もあるような気もするけどね |
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ということで、鹿児島市内では是非とも行っておきたい場所が 城山周辺です。 これは少し前に読んだ司馬遼太郎さんの翔ぶが如くの舞台 でもある西南戦争の最終場面の場所。 また現に今読んでいる坂の上の雲にも繋がる場所。 政府軍と薩摩軍が戦い、市内からすぐ近くの場所で 最後の抵抗をしながら立てこもっていという場所。 一体どんな場所なのか興味津々です。 で、まず最初に行ったのが西郷隆盛の最期の直前まで 過ごしていたと言われている洞窟跡です。 |
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最期は桐野利明と別府晋介という二人に 命を預けた形となったとおいらは理解しているけど、 なんかちょっとな〜って感じがしています。 別府晋介の写真があったけど、その顔を見た時に 得も言われぬ感情が湧き出ました。 まぁそれはそれで良いけどね |
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ここから西郷隆盛の終焉の地へと向かいます。 先ほどの洞窟から谷を下ってしばらく行った所にあります。 |
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南洲翁と言われた西郷隆盛の終焉の地。 明治維新の三傑といわれ、その後に日本最後の反乱で ある西南戦争を起こした人。 その後の日清日露戦争などへ続く明治時代の鹿児島の 総領となる人達の大きさが良く言われているけど その時代にいないとその感覚は分からないだろうね 今この昭和から平成、令和と日本国内のおいらの周り はとても平和な世の中になっているところから 見てみる風景と、当時の風景は恐らく全く 異なるものであり、その中にいないと解らないことは たくさんあるのだろうけど、歴史にもしは無いと言われる が、もしということを考えてしまうんだよねぇ〜 |
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そこから市内へ向かうと私学校跡の史跡があります。 私学校というものも凄く不思議な組織であり、 これも当時の、しかも薩摩の中にいないとどの様な ものなのかは解らないんだろうね〜 今の視点で見ると?マークがたくさんでるし、 まぁ解らないでもないとは思うけどね〜 |
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すぐ近くには西南戦争の銃弾跡が石垣に残っている 場所があります。 つい150年程前のものであり、生々しいです。 京都御所の蛤御門の銃弾跡とか、寺田屋の刀傷跡とか 小説とか歴史でしか知らないものが目の前に現物として 残っていることにもの凄い不思議な感覚があります。 |
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一通り、見るものは見たので先に進みます。 今回幾つか見ることが出来なかったものとして 磯公園があります。 島津斉彬が建造した反射炉とか、島津久光がやけっぱちに なって花火を錦江湾に向けて花火を上げた島津家の別荘。 渋滞が多かったので今回はあきらめて次回の宿題とします ということでこの時点で14時30分過ぎ さて、ということで桜島へ渡ります |
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鹿児島市内から桜島へは15分ほどで行くことができます。 市内循環バスというような感じで運航しているフェリーで 特別なものではないみたいです。 港に着いたら、急げ急げと言われて乗り込むと 直後にゲートがしまります。 ここでもギリギリセーフ でもお金払っていないんだけどな〜って思っています |
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バイクは宮崎ナンバーの集団とおいらだけ 基本的にサイドスタンドを立てるだけで何もしません 車両甲板は立ち入り禁止と書いているけど、車に人は 乗っているし、バイクにまたがっている人もいます。 まぁ天気が荒れていると違うんだろうけどね ここで先ほどのさつま揚げの結末が 宿泊まりで夕食があるのにさつま揚げが5-6枚あるのは もはや捨てるしかありません。 で、宮崎ナンバーのライダー集団にお譲りすることにしました。 とても喜んでくれたり、無駄にならずに良かった。 |
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桜島に到着したら、なんと降りたところに料金所があるでは ないですか〜 なるほどね、船で渡ったあとで料金を支払うのか こういうシステムは初めての経験です。 バスの後払いと同じ感覚だね〜 で、そのまま桜島の展望台へと駆け上がります。 |
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ここが一番桜島の山頂に近い場所です。フェリーターミナルからはバスも巡回しています。 で、気づいたこととして、桜島港のフェリーターミナルは鹿児島へ向かう料金所渋滞がもの凄いことになっています 桜島へ遊びに行くときは徒歩でも移動の方が良いように思いました。 車ならば良いけど、バイクはちょっと辛い感じです。 |
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観光を終えて下山してくると、不思議な建物があります。 これが鹿児島の名物であるお墓のお家です 恐らく火山灰からお墓を守るために屋根をかけている のだと思います。 桜島周辺ではこの景色が普通でした。 かなり離れると同じ鹿児島でも屋根はかけていないので 鹿児島の文化といよりも桜島の文化なんだろうね |
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桜島は常に噴火警戒レベルは3となっているようです。 警戒レベル3とは以下の様な感じです。 かなりやばいものであるということが解りますが これが日常なんだね |
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左の画像は桜島の北西方面から見た時のものです。 桜島は北岳と南岳にわかれているようで、現在活発な活動は 昭和火口という南岳の8合目辺りにあるもののようです これが西風にのって北西方面へと噴煙を流しているようです 鹿児島側から見た桜島と北西(垂水北部)から見たものでは 山の形が違っているね |
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ということで、本日の宿へ向かいます。 本日の宿は霧島市内にあるホテル京セラというところ。 霧島 温泉で検索して取った宿ですが、ちょっとイメージと 違っていました。 まぁシティホテルって感じで結婚式場も併設されているような 宿でした。 |
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ホテルの形も円形というか四角形で、全ての外側の部屋がある 感じの作りで独特です。 本館とアネックス館に分かれていて、その間には 歩く歩道もありました。 またホテル内にはチャペルがあり、結婚式を 挙げることができるようになっています。 うーん、ちょっと場違いだねって感じでした(笑) |
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夕食は左のお皿が出てきてあとはビュッヘタイプ でした。 お酒は相変わらず焼酎がメインですね。 地元の一流ホテルなんだろうね 食事はかなり美味しかったです。 お酒もそこそこのんで部屋に戻ります。 |
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今日は鹿児島2日目でした。 今日は鹿児島に来たというよりも薩摩に来たというイメージでした。 江戸時代から明治維新を経て明治時代の歴史散策 知覧では武家屋敷は江戸中期のものであり、知覧平和記念館では太平洋戦争のもの 色々な時代と色々な背景がある中を一日で一気に駆け抜けました。 とても色々な感情が湧き出てくるとても不思議な日でした。 またバイクではこの様な観光をすることはあまりないので新鮮でした。 歴史というものは不思議なもので、時代が流れるともはや物語でしかないのですが、それは我々の祖先の人達が 実際に体験してきた事実であること。 でも、時代背景も社会情勢も異なるために、物語でしかないのはそうなんだよね。 でも、その物語を本とかテレビで見るのではなく、生の目で自分の足を運んでそれに触れることで一気に 現実感を増してくるものなんだよね。 たまにはこの様なバイクツーリングの旅があっても良いと思った次第です。 さて、明日は鹿児島を離れて少し北側へ進みます。 まだまだ続く九州の旅。 どんな旅になるのかな〜 本日の走行距離182.8キロでした |