<臨時掲載>事故との戦い

1/8
47日目
最終日
いよいよこの「事故との戦い」も今日の退院を持って最終回とすることとした。
本当の事故との戦いは今後も続くが、臨時掲載としてのこのページは退院を持って終了する事とする。これ以降は徒然草にカテゴリー「事故との戦い」で書いていきたいと思う。

年末自宅へ戻っているときに「日本レコード大賞」を見て思ったことがある。
大賞はMr.ChildrenのSignとなった。ボーカルの桜井君の歌っている姿を見て、その詩の内容を聞きながらけいことこんな話をした。
ち「桜井君の歌っている時の笑顔が良いなあ。詩の内容も<普通であることを嬉しく思う>という意味の詩がここのところ多いよね」
け「彼って脳梗塞で入院したじゃん。それが何かを変えたのでは」
ち「なるほどね。確かにそれはあるかもしれないな」
脳梗塞の症状は良く解らないが、喋る事も体を動かす事も非常に大変だと聞いている。普段の生活をするのにも結構大変なのに、ギターを弾き、歌手として歌う様になるためには非常に時間と努力があったことは想像に難くない。
そんな彼だからこそ、
ありふれた時間が 愛しく思えたら それは"愛の仕業"と小さく笑った
残された時間が 僕らにはあるから 大切にしなきゃと 小さく笑った
 君が見せる仕草 僕を強くさせるサイン もう何ひとつ 見落とさない
 そうやって暮らしてゆこう そんなことを考えている

と言ったような詩が書けるのかもしれないとテレビを見ながら思った。

数日前テレビを見ていたらこんな事を紹介していた。
去年イラクへ取材へ行っているときに襲われて死亡した橋田さんがある大学で講義をした時の言葉である。
時々楽しい事があるから、生きていて欲しい
彼らがどの様な思いでこの言葉を紡いだのかは、ほんの少しであるが私なりに理解ができる様な気がする。
一応今回私は死の一歩手前まで足を踏み入れていたと思っている。
それが結果的には思っていたよりたいしたことは無くこうして生きて、ここに存在している(といっても40−50日入院は重症かな(笑))
未だに肩は痛いし、腰は重いし、首も少し痛い。でも痛いと感じる事ができることは「元気である」証拠である。

死んでしまったら痛いと思うことも出来ないのである。
それが例え病室からでも朝日に輝く山々を見ることも出来ないのである。
これから先の事を不安に思うことも出来ないのである。

何気ない事を感じることができること
普通であるということを感じることができること
健康でいられることを幸せと感じることができること

退院した後に、今回の事故のことをどの様に思うか、自分の生き方が果たして変わるか、人生観が変わるか。
変わるようにも思えるし、変わらないようにも思える。
でもほんの少しは何かが変わると思っている。決して大きく変わることは無いと思うが、何かは変わると思っている。それが何なのか、ちょっと興味がある。

道ばたに咲いている花を見て、自宅でけいこと並んでただテレビを見たり、ふと見上げた空が青かったり、そんな事を幸せと感じることができる様になれていたら、今まで以上に幸せになれると思う。


やっと病院を脱出できる。一時的な脱出でなく、正式に脱出できるのである。
病室で一人でいることのストレス。幸い個室であるためだいぶ緩和されていたと思うが、それでもこのストレスはかなりのものである。
それからやっと脱出できる。
退院することは非常に嬉しいが、これで
毎日ビールが飲める
もしかして、これが一番うれしいのかもしれないと思うのは、
とっても自然な事だと思っている(^^)。

というわけで、この数十回にわたった事故との戦いも無事終焉を迎えることが出来た。
これも皆様の有形無形の応援によるものだと思っている。
心配をかけたし、迷惑をかけたし、気を遣ってくれたし。

今自分にできることは、ただ感謝することだけである。
それしかできないが、本当に感謝するだけである。

長いようで短かった47日間、暖かく見守ってくれて本当にありがとう

今日、みんなのいる世界に戻ります
1/7
46日目
実質的な最終日
今日で実質入院生活も終了する。明日は朝食を摂り、そのまま清算後に退院となる。
看護婦さんとか助手さん、掃除をしてくれているおばさんに「良かったね」と言われている。
冗談半分で「追い出されるんですよ。実は^^;」というと、「またぁー」と笑っている。
でも本当に病院の関係者の人たちにはお世話になりました。
幸い自分で動けるし、点滴なども無いのでほとんど何もしてもらってはいませんが(笑)
先日も脈拍を測りに来てくれた看護婦さんが「このお部屋は若やいでいて良いですね」と言われた。
ラジカセを持参して音楽を聴きながら、本を読んだり、ネットで遊んだりしているためだと思う。
「他の病室はおじいちゃん、おばあちゃんが弱々しく手を振っているだけだもん」と彼女は話をしていた。
幸い個室なので周りに気にせず音楽などを聴けるので良かったなと。これがイヤホーンだとまた違っていたんだろうな。
入院中に、感謝の取り間違えなどを防ぐために名前と年齢、患者のID番号等を書いた腕輪をしている。
一時帰宅中でもこの腕輪をはずす事が無かったが、明日いよいよこの腕輪が取れる。
本当に病院から脱出できるのだと思うと、ちょっと嬉しかったりする。
退院後の予定は、まず温泉に行きます。
のんびりお湯につかり、景色を楽しみ、何も考えずに家族と一緒の時間を過ごします。
今まで寂しい思いをさせてきたからな。って、本当は亭主が家にいないのでご飯の支度をしないでよいと思っていたかもしれないけどね(笑)
まぁこれから本当の社会復帰へ向けての戦い(そんな大げさではないかな)が始まるので、心機一転がんばっていこうと思っている。
でも本当に社会復帰できるのかなぁ〜
さぁ
あと一つ
1/6
45日目
痛みへの慣れ
最近つくづく感じるのが痛みへの慣れである。
数トンの鉄のかたまりとぶつかったので、痛いのは当たり前であり、それがたかが二月ぐらいですっかり解消される方がおかしいということにようやく慣れてきた。
まぁ、生きている事の方が不思議な位なので、この程度の痛み(といっても結構痛いが^^;)は許容範囲内かなと。
昨日今日と結構寒いのでそれが影響して痛いのかな。これから最低数ヶ月は痛いことが続き、それが全て取れることはきっと無いのだろう。
「寒いと傷がうずくぜ」といった所か(笑)
病院で迎える朝も残すところあと二日になった。
あと2つ
1/5
44日目
ほぼ最終決定です
退院が決まりました。
今週の土曜日1/8の朝に退院します。
今まで有形無形の応援励ましをして頂いた皆様、本当にありがとうございました。
退院決定までのお話
昨日の夕方に先生と話をしたのですが、なんか拍子抜けしてしまいました。先生は元々「もう治療をすることは無い」といっているので何時退院しても良いよ状態だったのだと思いますが、
私「今週末退院ですかね」
先「それでいいんじゃない」
私「金曜日の夜かか土曜日の朝にするように考えていますが」
先「どちらでも良いですよ。看護婦か私に言ってください」
といった会話で決まりました。
まぁもういい加減病院にいるのも飽きたし、色々な物音とか車の音とかが気になってしまいよく眠れないので、自宅でのんびり過ごしたいと思います。
っで、その後ですが、先生は「二週間に一回ほど通院してください。リハビリはもう少し頻度が高いと思いますが」と言っていた。まぁそんなもんでしょう。
でもそれでは駄目なので、別の病院に肩を見てもらいに行きます。
前日にも書いたとおり、やはり今は肩の事が一番気になります。背中の痛みは筋肉とかの痛みだと思うのでこれは時間をかけるしか無いと思いますが、肩は時間をかければ治るとはどう見ても思えないのです。
筑波に良い病院があるという話を聞いているので、そちらへ行ってみようと思っています。
<正直な感想>
病院というのはその病院の持っている特性があるということを理解した。
今の病院はどちらかというと救急病院の性格が強く、リハビリも基本動作を回復することに重点を置いているため、私のように既に積極的な治療をする必要もなく、痛みを除けばある程度は普段通りに生活できる(一般社会生活はまだ無理ですが)患者にたいして時間をかけることが出来ないようである。
これは病院とか医師の資質の問題では無く、その病院の役割に帰すところが大きいように思える。
診療行為の有無による報酬の多寡の問題も関係しているとは思うが、今の病院を追い出されるわけでは無いので念のため。
先生も人だし、私も人なので、先生の治療では満足できないので他の病院を紹介して欲しいというのはどうも気が引けてしまう。でも自分の体の事なのだし、あんまり中途半端なことをして後々痛い思いをし続けるのも納得がいかないので、整形外科の先生では無く、リハビリの先生にでも相談してみようかと思っている。
病気にせよ、怪我にせよ、人によって症状の出方は違うし、まして交通事故であればその状況は一つとして同じ状況のものは無いので先生にこの先どうなるかという事を明確に説明してもらうことは無理だと思う。
あきらめでは無く、対処療法になるざるを得ないのかと思う。
まぁ幸い患者には病院及び先生を選択する権利があるのでこれをよりよく行使したいと思っている。
1/4
43日目
新年明けましておめでとうございます
既に事故から40日を経過し、無事?に新年を自宅で迎えることができました。
でも今日からまた病院生活の始まりです。
早速現状の報告から
年末30日の夕方に自宅に戻り、ほぼ普段通りの生活をするようにしてみた。
痛み止めの薬も朝と晩のみにして、シップもできるだけ貼らないようにしてみた。
31日はやはり慣れていないせいか、背中の肩胛骨あたりの背筋が非常に辛くなってしまい、シップでごまかしながら過ごす。横になっていると楽であるが、座っている態勢が長いとやはり疲れるのか、辛かった。
新年1日からは、普段の生活に少しずつ慣れてきたが、一度ストレッチをしようとフローリングの床にそのまま寝そべったら、これが大変だった。何が大変だったかというと、先ほど書いた肩胛骨あたりの背筋に激痛が奔ってしまった。堅い床に背中を着けるとその部分が言葉に出来ないくらい痛い。いやはや参ったm(_ _)m
でもそれ以外は何とか痛みも軽くはなってきている。
と思っていた二日の夜。何気なく頭の上に持って行った手を下げた瞬間に左肩が外れそうになるくらいの激痛が・・・。(脱臼をしたことがないので確かなことは言えないが)骨が関節から外れそうな感じ。
いやはや参ったm(_ _)m×2
一度この様になると、しばらく肩が痛い。まぁ変に動かさなければ大丈夫なんだけど。
それで今日4日の午前中に病院に帰ってきた。
看護婦さん達と新年のご挨拶「今年も<短い間だけ>よろしくお願いします」を済ませる。
リハビリでは、先生に状況を話し、念入りに肩と腰から背中にかけてマッサージというか治療をしてもらう。
事故から既に40日を経過して、端から見ると入院している様には見えない様になっているとは思うが、やはりまだまだそんなに甘いものでは無いみたいである。
退院も間近になってきている。このまま病院にいてもあまり改善の余地は無いと思うので、恐らく予定通り今週末には退院することになると思う。その後は先生と相談であるが、リハビリを続ける事になると思う。
でもこの病院ではこれ以上の治療ができない様な感じもするので、スポーツ専門医がいるような病院で診察してもらおうかと思っている。背中は特に治療することは無いかもしれないが、特に肩の痛みだけはこのままにしておいても治るとは思えない。
まぁ痛みについては一進一退、三歩歩進んで二歩下がるというところかな。
これが現状です。のんびり行きましょう
12/30
38日目
今日年末年始の一時帰宅
今日午後には家に帰る。月曜日に病院に戻り、4日目である。ここのところ天気の具合も良くなかったこともあり、リハビリで一時間程部屋をでることと、お風呂で30−40分ほど病室をでることと、ジュースなどを買いに行くこと以外はほとんど病室で一日中過ごしてきた。
いい加減飽きてきた。飽きたというよりストレスの固まりみたいな感じである。
でも今日から自宅に戻ることができるので、ちょっと一服かな。
この年末年始の一時帰宅でどの程度家での生活ができるか、不安と期待の狭間である。
まぁ大丈夫でしょう。
今年の書き込みもこれが最後になるかもしれません。
11月24日から始まった「事故との戦い」も越年となりましたが、先が見えてきているので何とか乗り切れそうです。
色々な形で応援して頂いた皆さん、ありがとうございました。
来年が皆様にとって素晴らしい年になる様にお祈りしてます。
では、良いお年をお迎えください。
って、明日も書いてしまうかもしれませんが(笑)
12/29
37日目
保険会社さん
昨日相手の保険会社の物損担当のお姉さんから電話があった。
保「オートバイの損害価格ですが、ちぃにぃさんは幾らをご希望されています」
ち「全額補償してくれると思っています」
保「いやぁーそれはちょっと無理なんです」
ち(内心「じゃぁ聞くなよ」)「では幾らですか」
保「33万円です」
ち「それは付属品とか、先日の修理代とかも含めてですか」
保「基本的にはそうです」
ち「話になりませんね。修理してから200km位しか乗っていないし、タイヤもバッテリーも新品ですから、これは全額補償してもらわないと納得できないです。そもそも33万円とはどこから出てきた金額ですか」
保「レッドブックでその様になってます」
ここで解説(レッドブックとは)
保険会社が車両の保証価格を査定するために使用している保険業界での通称名
ち「先日雑誌に出ていた一般的な価格より数万円下回っていますが」
保「いやこの価格は販売店の利益を含まない金額になりますから」
そろそろちぃにぃの血管がふくれてきた
ち「それは販売店の問題であって、私には関係無いことですよね。それ以外の備品の価格はどの様になるのですか」
保「いや、全額は無理だと思います・・・。」
ち「・・・・」
保「人身の担当はお住まいの近くの営業所に移っているので、物損も移して良いでしょうか」
ち「あんた何言っているの?私はあなたやのあなたの営業所と話をしているのではなく、あ○お○損保さんと話をしているので、担当者が変わろうとどうしようとどうでも良いです。」
もはや見るからに今回の件はトラブルになると見て自分が担当から外れたくて仕方ない様子である。
相手は逃げたくてしようがない口調で色々と話しているがもはや無視!
電話が終わってから、自分の保険会社と話をしたが、この件を話したら鼻で笑っていた。
またあ○お○損保の人身担当の人とも少し話をしたが、彼も「それはルール違反ですね。トラブルになるのを解っていて逃げているとしか思えない。同じ保険会社の人間がいうことでは無いが・・・」と苦り切っていた。
まぁ私としてはだれが担当となろうと保険会社が変わろうと関係ないが、この様な態度を取られるには非常に腹が立ってきてしまう。
彼女の事をいじめてしまおうかと思ってしまった。少し痛い目を見て、まじめに仕事に向かわないといけないよね。(笑)
でも、これで少しでもトラブルになるようであれば、横浜営業所のお偉いさんと話をしないといけないかな。
まぁ、誰が来てもこちらの態度を変えるつもりは無いけどね。
保険屋さん待っててね。無茶は言うつもりは無いけど、もらえるものは全てもらいますから。
モチベーション上がってしまうよね。こんなことされたら(笑)
12/28
36日目
退院の予定が決まった。
一応年末年始は病院も診療を行わず、リハビリも行わなれないので、一時帰宅という形態で帰り、その後退院をすることになった。正式な日にちはまだであるが、1/7−9あたりになる予定である。
本来退院は嬉しいことなのであるが、昨日の夜から結構憂鬱である。
昨日の夜からまた試しに薬を飲んでいない。理由は単純で薬を飲まずに痛みに耐えることができるのであればそれにこしたことが無いからである。痛みが耐えられないような時に飲むようにしようと思っている。でも薬が無いとやはり結構痛む・・・
昨日主治医の先生と少し話をした。痛みがある事についてである。
先生曰く、痛みがあるのは怪我をしたので当たり前であると。それで我慢できなければ薬を飲めばよいと。
リハビリの先生とも話をしたが、同様の事を言っていた。完全に痛みが取れるまで入院をしていることは非現実的であると。痛みと付き合っていけば良いのではないかと。
いままでここまで大きな怪我をしたことがなく、骨折もしたことが無いため、痛みに対する経験が無いので、どの様に考えれば良いのか非常にとまどっている。
まぁ文章で書けることには限界があり、ニュアンスは伝わりづらいが、これはこれで納得している。あと二週間入院していれば痛みは取れるか。極端な変化はないだろう。その期間ベッドで寝ている事による社会復帰の遅れとどちらを取るのか。(この様に書くと変な意味でも二者択一になっているが、それほど重たくは考えていないので、念のため)
リハビリの先生が先日この様な事を言っていた。「時々完全に痛みが引くまでかなり長い期間入院する人もいる。確かに保険で費用はかからないかもしれないし、休業補償はあるかもしれない。でも、その分自分の人生の空白期間を作ってしまうことになるんだ」と。
確かに病院でのんびりしているのは非常に退屈ではあるが、楽ではある。でもその期間は自分にとって決してプラスになることは無い。少しづつでも普通の生活に戻れるような努力をすることが必要なんだと思っている。
自分の人生なのだから、今いるようなぬるま湯の中で安穏としているだけではいけないと思っている。
まぁ痛いと言っても決して無理をしないで我慢できる程度では(今のところ)あるしね。
っで、何で憂鬱かといえば、何故被害者である自分がこの様な事に悩まなければならないかということである。痛い思いをして、周りに迷惑をかけ、けいこをはじめ親族、友に多大なる心配をかけ、しかもしなくても良いような悩み(まぁ悩みといえるほどでは無いが)を抱えてモンモンとしている事に対して。
この様な思い等に対して慰謝料として制度があるのだとは思うが、ここで失った時間はどれだけのお金を費やされても帰ってくる物では無い。今回は幸いにもこの程度の事で済んでいるが、これがもし全身麻痺だとかもっと重症で、これから一生不自由な生活をすることにでもなっていたら・・・。加害者の人生は棒に振ることになるのは当然の報いであるとしても、被害者も人生を棒に振ってしまうようなことになる理不尽さには非常に納得がいかない。
まぁ悪い意味ではなく、決して悲観していないが、これが現実なんだと実感した。
この様な思いは体験してみないと実感できないとつくづく思った。
今回の事をマイナスにとらえるのでなく、何かに生かせればと思っている。
折角、普通人には体験できない(したくないかな^^)事に出会ったのだから。

それともう一つ。昨日テレビで警察24時間のような番組をやっていて、車による色々な事故事件を取り上げていた。前にも書いたが、幸い今回は被害者であったが、何時自分が加害者になるかもしれない事に対する非常な畏れを感じずにはいられなかった。
遵法無視などによって万一自分が加害者になったらと考えたら・・・
とにかく、色々なことを考えされられた。
おかげで昨日の夜は久々に寝付けずにいた。

まぁこれも人生における勉強の一つだと思うことにしよう(v^^v)
12/27
35日目
この日記が二日ほど空いてしまったが、週末は予定通り一時帰宅していた。
約一月振りの我が家である。また一月振りのビールとの邂逅(笑)
ビールは正直最高にうまいとい感じでは無かった。まぁそんなもんかって感じ。でも少し飲んだだけで、体中が真っ赤になってしまった。
アルコールも嬉しくて血管をかけずり回っていたのかな(^^)
自宅に帰っての感想は、ベッドに寝ている生活が続いていたことからか、それともまだまだ怪我が良くなっていないためか、夕方になると背中がだいぶ辛かった。肩も結構痛かったりした。日常生活での何気ない動作が結構辛かったりした。
病院にいれば、基本的に寝ているだけであり、手を伸ばせば何もかもが近くにある。体を捻ることなど無いし・・・
筋力が落ちていることもあるのだろうが、まだまだ怪我が治っていない事の方が影響が大きそうな気もする。
一時帰宅前の二日ほど、薬が切れていた。シップの貼らずに過ごしていたが、金曜日に散歩に出たとき、腰が非常に痛くて、背中もかなり辛かった。
それまで出してもらっていた薬の内容を調べると、腰とか肩の痛みを緩和するものと、筋肉の痛みを和らげる結構強めの薬だったようである。
今まであまり痛みがないなと思っていたのは実は薬で痛みを抑えていたからなのかなと。
もう少し復活していたかと思ったが、やはりそんなに甘い物では無かったようである。
でも、何時までもこのままで良いのか。痛みはあることが前提として、退院して普段の生活をしながらリハビリした方が良いのか。
恐らくどれが正解なのかなんて誰にもわからないのであろう。
以前も書いたと思うが、主治医の先生も積極的な治療は無いといっている。人の体はひとそれぞれだし、怪我の程度もケースバイケースだし。
この様な痛みは、怪我が治る過程で必須の物なのか、それとも入院というもう少し時間をかけることで解消される物なのか。
なんか先生に聞いても自分に本当にあった答えなど聞けない様な気がする。
自分で決めないといけないのかな。でも何を基準とすれば良いのか・・・
まぁ色々な所に相談してみようと思っている。
12/24
32日目
クリスマス会
昨日、いや一昨日かな。病院でクリスマス会があった。第一部は病院ロビーでのクリスマス会。
途中から少しだけ見に行ったが、恐らく近所の幼稚園の園児なのだろうか、子ども達が晴れ着でなにやらやっていた。その後、これも地元の人たちなのだろうか、バイオリンとかチェロでクリスマスソングの演奏をしていた。
その後、看護師さんとか病院のスタッフ達が手話を交えながらでクリスマスの歌を歌っていた。
観衆は入院患者とか、外来に来ていた人たちだった。
その後夕食が終わると今度は、なにやら廊下で賛美歌を歌う声が聞こてきた。
しばらくすると部屋にキャンドルを持ったサンタさんが入ってきて、クリスマスプレゼントとクリスマスカードをおいていってくれた。キャンドルの列は看護師さんだけでなく、助手さんから先生までが列を作って歩いていた。
クリスマスカードには「早く元気になって退院出来ますように。入院中のクリスマスもまんざらでないなと思ってもらえたら嬉しいです」と。
二日早いクリスマスだったが、なんだか良い気分転換になった。
今日は夜から一時帰宅である。久々に家で寝るが、どんなもんだろうか。
約一月振りのお酒も飲めるしちょっと楽しみである。
一時帰宅が今年のクリスマスプレゼントなのかな^^
ちょっと嬉しいような、つまらないような複雑な気分です
12/23
31日目
今日で満一月
あの事故から今日でちょうど一月が経過した事になる。なんかもの凄く長いような、でもあっという間の一月だったような、とても不思議な気持ちである。
体が痛くて横になるのも大騒ぎだったこと、検査中に背骨の骨折が判明して、絶対安静になったこと、転院後に久々お風呂に入ったこと、入院後初めて外出したこと・・・
なんか色々な事が走馬燈のように頭の中を駆けめぐっている。
退院の日は決まっていないが、もうそろそろカウントダウンとなる様な気もしている。(社会復帰はまだ先になるが)
けいこをはじめ、家族、友達達の温かい気持ちに支えられ、ここまで至ることができたことに本当に感謝しなければいけない。
11/23は奇しくも結婚記念日の翌日でもあるので、恐らく一生忘れることの出来ない日になると思う。
12/22
30日目
ありがたいこと
今回入院して、何人もの友がお見舞いに来てくれた。
中学からの友達が、年賀状を整理していてた見つけたHPのアドレスから事故の事を知り、平日にもかかわらず訪ねてきてくれたり、仕事が終わってから大好きなビールを飲むのも我慢して来てくれたり、退院したら温泉に行ってねと温泉の案内が出ている雑誌などを大量に持ってきてくれたり・・・
皆様本当にありがとうございます。
入院していて何が一番辛い(つまらない)かというと、それは人と話すことができないと言うこと。
看護師さんとか助手さん、先生などと少しは話をするが、それ以外は基本的に一人で過ごしている。
私は一人でいることにストレスを感じる度合いはかなり低いと思っているが、それでも毎日ほとんど会話がないのはさすがに飽きてくる。これが山登りなどの運動ができればまた違うのだが、基本的にはベッドで横になっているのでなおさらである。
ネットをつなげられる環境にあるので、外界との接点は結構あるため、ある程度は癒されてはいるが、お見舞いに来てくれてくれるだけで、どんなに嬉しいことか。
ただ、顔を見せてくれるだけでめいった気分が晴れることか。
本当にお見舞いに来てくれた友、カキコして頂いたかた、毎日HPを訪ねて切れくれた沢山に人たち、それ以外にもほんの一秒で私の事を気にして頂いた人たちに感謝感謝です。
社会復帰はまだ当分先になりそうですが、そろそろ退院の話もチラホラと出てきています。
今週末土日は家に帰る事に決定しました。さてさて一体どんな感じになるのやら。
いまから楽しみと不安でワクワクドキドキ状態です^^
12/21
29日目
今の心境
毎日リハビリをして、散歩をしている。それ以外は本を読み、テレビを見て、この様にネットで遊んでいる。
体の調子も少しずつ良くなっていると実感できる。でも15分ほど散歩するだけで、腰が痛くなってくるし、肩は相変わらず激痛がはしることがある。
もうそろそろ事故から一月が経過しようとしている。気持ちは既に元気一杯であるが、今の気持ちは正直社会復帰できるか不安である。
15分歩いただけで腰が痛くなり、先日は階段を4階くらい上っただけで息が切れてしまっている。
人並み以上の丈夫さを誇って(あまり誇りでは無いが(笑))いたが、この程度の事も普通にできないのが現状である。別に焦っている訳でも無いし、時間制限があるわけでは無い。
でもこの様な体験は今までしたことが無いので、正直とまどっているとい所か。
今週末、土曜日日曜日と外泊(自宅へ戻る)してみようと思っている。先生からは病院から自宅へ戻る時のギャップはかなりあると言われている。確かに病院にいれば、必要なとき以外はベッドで寝ているだけであるが、家に帰り一日中寝ているだけでは病院と同じなので多少動いたりすることになると思う。
果たしてまともに生活できるのであろうか。
いまこうして座ってるだけでも背筋が少し辛くなってきている。
誰に聞いても回答は無いだろうし、自分の体で確かめていくしかないなぁと思っている今日この頃である。
でも、今回の事故でこの程度の怪我で済んでいるのであるから、これ以上の怪我をした事を想像するとゾッとしてしまう。
まぁのんびりしようよと行ったところかな。
12/20
28日目
ネタ切れ?
正直毎日事故との戦いを書いてきて、そろそろネタ切れである(笑)
保険屋さんとの交渉も今のところないし、体の具合も劇的に変化する時期ではないし、一度決めたテーマについても一端終止符を打ってしまったし。
さて何を書こうかと今考えている。
毎日書くのは辛いので、隔日にでもしようかな。
テーマも考えないといけないし、徒然になってしまったら、徒然草に書けばよいのだし・・・
まぁ、一日中暇ので何か考えてみます。
一応報告として
相変わらず、背中の痛み(打ち身系の痛さでは無く、恐らく骨折している箇所だと思うが)と肩の痛みは取れない。
動かなければ大丈夫であるが、肩は少し動かしてもまだ激痛が奔るときがあるし、背中も激痛とまでは行かないが、背を丸めるとうずくような痛さがあるし、腰の重さは相変わらずである。
まぁ、そんな所です。
12/19
27日目
今日は徒然風に
病院とは何なのかということを、ふと考えてしまった。
病院には実に色々な人たちがいる。患者さん、看護師さん、助手さん、先生、技師、事務員、経営者・・・
患者さん一つをとっても、重体のひとから、軽傷の人まで実に色々である。
今回この様に長い期間病院という(ある種の)組織に属していてとても不思議な気持ちになる。
何もせずに三度三度のご飯は出てくるし、毎日部屋の掃除をしてくれるし、ナースコールであれしてこれしてとお願いできるし(今はほとんど自分でやってますが)。
病院はもう少し陰気臭い所かとおもっていたが、実際に入院すると看護婦さん達は非常に明るく、元気であり、リハビリ室に至っては立ち上がることができない人たちや、麻痺で動けない人たちが必死になって運動をしている。それを先生達は明るくがんばれと励ましながら一つの目的(退院)へ向けて動いている。
前の病院である看護婦さんが話していた。「外科病棟は良いよね。だって、患者さんがどんどん良くなるのが目で見えるから」と
一つの目的を達成するための、たった一人の患者のために、全ての人が自分のなすべき事をきちんと心得て仕事をしている(患者も治すという仕事をしている)。
みんなが非常に前向きであり、目的意識をはっきりと持っている、非常に健全な場所だなと何となく思う。
12/18
26日目
今日は昨日の見た景色について
毎朝早起きしています。5時頃には目が覚めてそのまま起きてしまいます。二度寝をすると夜眠れなくなりそうなので(笑)
起きると外は真っ暗で☆も綺麗に見えます。今の時期日の出は6時40分頃なので。
昨日は天気も良く、窓から東の空を見ると雲が地平線にかかっていないので日の出が見えるかなと思って病院の一番上(7階)まで日の出の時間に合わせて行きました。
朝日がとてもまぶしく目に飛び込んでいて、結構良かった。でも山の上で見る日の出よりまぶしく感じたのは気のせいなのかな。
その日は雲が余りなく、左側(北側)を見ると筑波山が大きな姿を構えており、それより少し西側に目を移すと男体山から女峰山に続く日光の山脈も見えた。多少かすんでいたのでよく見えなかったが山頂付近は雪で白くなっているようにも見えた。
病室に戻り南側を見ると富士山が見えた。この病院に来てから初めても富士山である。送電線の鉄柱がちょうど富士山の真ん中にあるので邪魔だが、山頂に雪をかぶっている姿をみることができた。夕方になると夕日に輝く富士も見ることができ、我が家周辺から見える大きな山はこの日で制覇できた。
でも見るのは簡単だけど、これらに登ることができるのはまだまだ先。
昨日も15分ほど近くの公園を散歩したが、やはり腰が痛くなりかけている。
のんびりリハビリを続けるしかないな。
12/17
25日目
昨日事故以来初めて病院の外へ出てみた
山と渓谷が欲しかったこともあり、気晴らしを兼ねて歩いてみた。
ポカポカと温かい日差しの中、のんびりと散歩した。
約一時間弱の散歩であったが、最後の方は腰が痛くて足を半分引きずるようにして帰ってきた。
いやはやまだまだ復活するには時間がかかりそう。
主治医の先生からは、後は怪我の回復を待つのみとなっていると言われ、そろそろ退院の事も考えても良いかもしれませんね。といわれたが、これではまだ少し時間がかかりそうである。
リハビリの先生とも話をして、毎日少しずつ歩く時間を増やし、ストレッチなども行っていくようになった。
社会復帰をしたその時は入院していたことの影響をできるだけ残したくないので、じっくり焦らずに体力の回復を図っていきたいと思う。
12/16
24日目
インフォームドコンセント
どこの病院に行っても、この言葉が良く掲示されている。
説明・理解・納得という意味になるそうである。
っで、これって非常に難しいものであると思う。何かを聞く患者としては、何を聞いて良いか分からない。先生も幾ら専門知識があると言っても人の体のことについてどこまでその患者の立場に立ってはなせるかというもの非常に難しいと思うし、切り傷などは見た目でわかるが、今回の様な圧迫骨折とか、肩の痛みなど目に見えないものに対してどの程度の物なのかを説明・理解させるのは大変だと思う。
でもそれを説明・理解・納得させるのがお医者さんとしての義務になるのかな。
あともう一つ、これが大きな問題であるが、患者にとって先生は絶対であること。
理性的にはインフォームドコンセントの事を理解していても、実際に先生に色々と物を聞くのはやはり気が引けてしまう事がある。私の場合は特に回復段階に入っているので先生もあまり熱心では無い(当たり前だけどね)
それにあとどれくらいで痛みが引きますか、と聞いてもそんなことは先生には解りっこないとも思うし・・・
毎日朝と夕方に整形外科の先生が3人で往診してくれるが、「どうです?」「相変わらず痛いです」「そうですね」だけである。まぁ決して不満があるわけではないのだけれど
先生と患者という立場ではやはり思ったことを聞くことは難しいことも多いと思う。
もう少し聞きやすい仕組みを病院も考えた方がよいかなと思った。
12/15
23日目
今日加害者の人がお見舞いに来た
事故当時の話を少し聞いてみた。
やはり時速100km程度で走行して気がついたらぶつかっていたと言っていた。
計算すると私の速度が約80kmとして、その差は時速20km。秒速に直すと20km÷(60分×60分)となり、秒速約5−6mとなる。
これは100mを進むのに約15−20秒かかる計算になる。50mだとしても8−10秒である。
高速道路を走っている最中にこの様な長い時間前を向いていない事になる。
それで気がついたらぶつかっていたとは・・・
長期出張の帰りに直接お見舞いに来てくれたことの誠意は伝わるが、ちょっとなぁー
午後保険屋さんも訪ねてくるそうである。
もらえる物はとことん頂こうと思う。
12/14
22日目
現状の報告
そろそろ体の具合もだいぶ良くなってきた。昨日リハビリの先生から車いすから杖の歩行に切り替えて良いとお許しがでた。まぁ今個室なので室内では歩いているし、病棟の同階での移動では歩いていたが(笑)
で、今日今の所少しベッドに座りながら過ごしている。30−40分くらい経ってきたが少し腰が疲れてきた。
筋力が落ちているので座るのに疲れているのか、筋肉とか筋とかが痛んでいるので疲れやすいのかは解らないが、少しずつ普段の生活のリズムに合わせて体を動かしていかないといけないかな。
昨日主治医の先生からは、そろそろ退院の時期を考えても良いかもしれません。通院でも良いかもと言われた。まずは外出してみて、それから外泊なども良いかもしれませんと。
でも今この状況を見ていると一時間も座っていないのにこんなに腰が痛くなるようでは、もう少し時間がかかるかもしれない。でもまずは病院内を歩いて、温かい昼間には近所の本屋さんなどに散歩してみても良いかもしれない。
昨日からリハビリを開始した。病院内を少し歩き、足に重りをつけて膝の曲げ伸ばしと足の上げ下ろしを繰り返し行った。久々にうっすらと汗をかいた。今日から毎日30分−60分くらいのリハビリを開始する予定。
まだもう少し続く事故との戦い
12/.13
21日目
一応テーマも一通り終わったので、今日は病状(怪我の程度)の記録です
先週木曜日に無事転院を済ませ、こちらの病院でお世話になってから5日目になります。
金曜日には一度リハビリとして、リハビリ科に行きました。でも立って歩くことができることと、まだこちらで検査などが完了していないため、リハビリの先生も何をしてよいか???って感じで、一応転ばぬ先の杖として杖を借りました。
使ってませんが(笑)
それと胸骨のMRIを撮影し、その後手のレントゲンを撮影しました。今日月曜日は肩のMRIを取ります。
手(指)については、特に問題も無くシーネ(当て木)ははずしました。胸骨の結果は、思っていたよりひどくないと言われました。でもどの程度で直るとかは今のところ何も無しです。
今一番痛い肩については今日の検査でどうなるか。土日に肩を上げるのも痛いぐらいになっています。筋が引っかかっているような感じで、少し動かすだけで激痛におそわれることがあるので、動かさないようにじっとしています。
夜寝るときは毎日背中にシップを貼り、氷枕をしています。朝方になると寝ている事もあるのか、それとも怪我の影響からか腰が痛くなります。頭痛も少し感じますが、以前よりはひどくなくなってきています。
首もなんか意外と大丈夫な様な気もします。
背中の打撲による痛みなどはほとんど引いてきたこともあるのか、骨折している背骨の箇所あたりの痛みがあります。といっても全然我慢できない痛みではないのでじっとしていれば問題無しです。
全般的には順調に快方に向かっている状態とは思いますが、基本的に寝ている生活なので、これが立って生活とかいすに長時間すわるとかになるとまだまだという感じです。時々10−20分くらい座っているときもありますが、背筋も落ちていることもあるせいか、辛いです。
社会復帰はまだまだという所かな。
今の正直な気持ちは、コルセットが苦しい^^かな。
今日もお風呂に入りました。湯船にゆっくり浸かりのんびりしたのでストレス少し解消です
12/12
20日目
<人生観について>
先日決めたテーマもこれが最後になる。
なんか事故との戦いというより、「自分とは」ということについて独白をしている様な感じになってきた。
その集大成が人生観についてとなる。
人生とは何か???そんなことは解りません。では人生観とはどういう事を言うのか。
明確に定義することは難しい。早速得意のウエブ辞書で調べてみると・・・(調査中)・・・
「人間の生き方や生きることの意味に関する考え。人生の価値・目的・態度などについての考え」(goo辞書から)
生き方、生きる事の意味。うーん。それは人生を過ごして最後に解ることだと思う。自分が今何をやっているかを理解することが一番難しい。幾ら客観的に見ようとしてもなかなかできない。人生の価値・目的・態度・・・同じく難しすぎる。
人の人生で決まっていることが一つだけあると良い言われる。それは「死ぬこと」である。これだけは何をどうあがいても防ぐこと出来ず、秦の始皇帝を始め歴史の強権者達はこの「出来ないこと」を必死で実現することを夢見ていた。
どうせ死ぬのだから、どうでもいいやというのはマイナス思考であり、後ろ向きの議論である。
どうせ死ぬのだから、その時その時を一生懸命生きていきたい。
中学生の頃、非常に熱心だった教師がこの様に言っていたことを良く覚えている。
「私は今中国語の勉強をしている。それ以外にも学級新聞を作り、色々な事をやっている。精一杯毎日毎日を生きている。私は例え今日今この時に死んでも悔いは無いように生きている」と。
中学生に対して話をした先生がどの様な思いで、どの様な事を考えてこの様な事を話したかは解らない。
何かの機会でこの先生と会う機会があれば聞いてみたいと思っている。今でも非常に印象に残っている。
今回の事故で感じたのは、突然訪れる死という物は、その瞬間は自分では解らないと言うことである。
死の瞬間は走馬燈のように今までの人生がよみがえるなんて嘘である。(BAKUさんも同じような事を言っていた)
ということは、今この時、次の瞬間に人生が終わってしまうかもしれないのである。
だとすると、今この時、この瞬間を、決して自己中心的でなく自分にとって少しでも前向きに生きるということがとっても大切なんだと思う。
でも人は(というより自分は)そんなに高い志を持っているわけではないし、自分に対してもの凄く甘いところがあるので、なかなかこの様な事を実践していくことが難しい。
でも難しいからなおそれを出来るように、いや
できる環境に自分を置く必要があるのでは無いかと思っている。
前の病院の院長さんと最後にお会いしたときに「これからの人生は余録みたいなものなのだから、楽しく生きてください」といわれたことが非常に印象に残っている。
楽しく生きる。徒然にも書いたが、「幸せなりたいけど、がんばりたくない」
そんな事を考えて、今際の時にほんの少しでも楽しい人生だったなと思えるように生きていきたいと思う。
答えはきっとあの世に行ってから見つかるのだと思うけどね^^
12/11
19日目
<オートバイについて>
看護婦さんからも、先生からも「これからもバイク乗るの^^聞いてもしようが無いよね。どうせ乗るんでしょ」とよく言われている。
ご名答!こんな事故くらいでバイクから降りる訳にはいけません。まして自分の不注意とかで起こした事故でないからなおさらかな。
バイクの免許を取得してから既に20年近くが経とうとしている。結婚して少したった頃一度バイクを降りたことがある。その時はけいこはもちろんバイクの免許などもっておらず、逆にバイクは怖い物と思っていたようである。その時バイクを降りた理由は、結婚したからでもなく、けいこに言われた訳でも無い(けいこは一度として「降りて」と言ったことは無い)では何故か。バイクを辞める前数年間、オートバイ通勤をしていた。甲州街道を新宿を抜けて以前の職場である水道橋まで毎日、雨が降ろうと雪が降ろうとバイクで通っていた。毎朝渋滞の中を周りのバイクとともにすり抜けをしながら走っていた。確かに危険だったが、幸い甲州街道は立体交差とかが非常にしっかりしており、飛び出し、割り込み、左折などの車が非常に少なく、他の道路と比較しても比較的安全だった。
でも毎年数回オートバイの事故を目撃していた。特にGW間近になるとタケノコのようにオートバイが増えそれにつれてバイクの事故が目立ってた。自分はその時事故に遭うとは正直思っていなかったし、余り危険な事は実際に無かった。確かに車に乗っている人らはヒヤヒヤしていたと思うが、彼らが思うほど危険では無い。でもライダーが思っているほど安全では無いのは事実である。(でも毎日通勤で車を使っている人たちはバイクの動きを良く理解している人が多いのでサンデードライバーがうようよしている土日よりは程度問題のレベルでは安全ですが)
そんなバイクでの通勤をしている時に、何度が本当に死にそうになった事が立て続けに起きた。死にそうと言うのは少しオーバーだが、新宿南口のトンネルが出来た当時、トンネル入り口の下り坂をすり抜け中、いきなり前をふさがれてフルブレーキング。路肩よりだったこともあり、下は小さい砂利が浮いていて、フロントロック寸前というよりロックとリリースの微妙な状態。ブレーキを調整しながら何とか無事止まる事ができた。転倒したり、追突しなかったのは、確かにブレーキの技術が上手だったこともあると思うが、運が良かっただけである。それ以外にも立て続けに2度ほど同じようなレベルの事故寸前の事があった。
その時正直「これは死ぬな」と本気で思った。このままバイクを乗り続け、通勤をしていると自分の責任かどうかは別にして、「確実に死ぬ」と本当にそう思えた。ちょうど結婚したばかりという事もあり、これはまずいと思ってバイクを降りた。絶対に死にたく無かったし、口には出さないが毎日帰宅するまでけいこはハラハラしていたと思うので、これ以上彼女に不安な思いをさせたくないと思った。
まぁ世間ではこれが結婚したのでバイクを降りたと言うことになるのかな(笑)
それから数年が経ちけいこもバイクの免許を取得して、夫婦ライダーになり、オートバイを再開。で今日に至っている。今我が家のライフスタイルにはオートバイ欠かせない物になっている。確かに今回の事故に遭遇したように、車と比較しても事故の確率も高いし、重大事故になる可能性も比較にならないくらい高いことは事実である。
でも、安全を犠牲にするという気持ちは皆無であるが、オートバイの魅力は言葉に言い尽くせないものがある。
バイクはその特性上当たり前であるが、体を外にむき出しにしている。
この事は非常に重要であり、今年のGWの「ぼくの細道」でも少し書いたが、バイクで走る事で、その土地、その街の雰囲気、街の持つ歴史などを本当に肌で感じることができる。
林道を走っていても、それを肌身で感じることができる。この感覚はバイクに乗って色々と走ったことのない人にはうまく説明ができない。人の五感というのはとても素晴らしく不思議なもので、例え直接目視しなくとも視界に入ってきた景色、何気ない臭い、音でその場所の雰囲気という物を直感できる特性を持っていると思う。その感覚というのは後々確かな記憶として脳裏に刻まれる。
バイクに乗ることで、その土地を感じ、自分の思いを感じ、その機動性を有効に活用して普段ではいけない場所にも行き、新たな出会いを得ることができる。
バイクは辞めません。
復活したらどのバイクを買うか、今から雑誌片手に検討中です。
バイクを辞めて欲しいと正直思っているであろう、両親などには申し訳ないが、子どもにも譲れないことがあるので、どうかご理解をお願いします。
その代わり、
バイクでは絶対に死にません
PS
昨日手の当木がとれたので、キーボードを打つスピードが上がったので調子にのって長文を書いてしまった^^
12/10
18日目
<加害者になるかもしれないこと>
今回の事故は完全な被害者であり、自分に非は百パーセント無い完全な被害者である。停車中の追突などでは無く、走行中の事故でこの様なケースはとっても珍しいと思う。
今まで人身事故の経験は無かったが、物損事故は数度経験したことがある。どれも相手の過失割合が多いものばかりだった。どの事故もあと一秒速いか遅いかで事故は無かったかもしれない。
車を運転している人なら誰でも一度ならずヒヤッとしたことはあると思う。交差点での飛び出し、路地からの発進、右直などなど。どのケースも一歩間違えれば事故に繋がる可能性を秘めていたと思う。
オートバイに限らず、自動車でも事故を起こせば下手をすると一生を棒に振ってしまう。それが自分だけであればまだ良いが、被害者本人、その家族、そして自分の家族、会社などの人生計画を一度に崩壊させてしまう事になりかねない。
今こうして事故という物に(被害者ではあるが)巻き込まれ、今までがどれほ偶然に助けられてきたかと言うことを実感させられる。明日自分が加害者になってしまう事は現実的な問題である。
不可抗力は仕方ないとしても、人に危害を加える可能性を持つ事をしている重大さをもっと認識しないといけないと思った。
退院してからも車を運転するし、バイクにも乗ると思う。明日は我が身である。被害に遭うだけのでは無く、加害者となるかもしれないことに対して。
12/9
17日目
本日転院
今日やっと地元の病院に転院します。事故に巻き込まれてから半月が経過し、体もだいぶ良くなってきた。でも背骨の骨折している箇所の痛みがはっきりしてきた。他の痛みが無くなったので、顕著に感じるだけなのかもしれないが。今一番辛いのは夜寝ている時に腰が痛むの事かな。横向きに寝ると痛いし、仰向けのままだと中々寝付けないし。
昨日レントゲンを撮り、経過を見たがまだ骨に傷はあるが、今のところ順調だと言うことである。話を総合するとある程度直るのには約一月かかるというので、やはり最低でも年末までは入院でしょう。でもその後自宅療養となると思うので、そのまま入院してしまうかもしれない。家に一人でいても大変だし。。。
まぁ先生と相談しながら決めていこう。
昨日看護婦さんから「ストレスたまりません?」と聞かれたので「看護婦さんが綺麗なので大丈夫でした」と言ったら大笑いされてしまった^^。でも優等生の患者さんでしたよと褒められてしまった。まぁ寝ているしかなかったので。
でも正直な所ここ数日余りよく眠れず、ちょっとストレスがたまってきたかなという感じがする。一度夜の夜中まで起きていてぐっすり眠る対策でも講じてみようかな。
転院することで景色も変わるので気分転換になるとよいが。
怪我との戦いはまだまだ続く・・・
12/8
16日目
<ネットで語ることについて>
この臨時掲載「事故との戦い」を書くことの意味について
正直暇つぶしと日記を兼ねているだけである。
自分が思ったことを文章にすると考えている事が整理されるし、自分がどの様に考えているかが良く分かる。
その時思ったことはあとになったらほとんど忘れてしまうので、その時思ったことをその時に書いている。
友達からこのページを見て「ちぃにぃらしいね」と言われた。
自分らしさを確固たる物にするのは非常に難しいし、それを維持し続けるのはさらに難しい。
この様に第三者がみることができる場所に自分を出すことで、それを維持していることができるのだと思っている。
今回の事故の様子から入院を経て、示談に至るまでの経過を記録し、皆様の参考になればと思う。
って参考にするということは事故に遭うということになるのか(笑)
では、この内容を見てもらって、こんな思いは絶対にしたくない(被害者でも加害者でも)と思ってもらえれば良いということにしよう。
まぁ、最初に書いたとおりに、ただ寝ているだけでは頭も使わないので、暇つぶしと頭の体操を兼ねて今後も続けていきたいと思っている。
12/7
15日目
<家族の思い、友の思い>
事故の連絡をした日の夜、オヤジがお見舞いに来た。お袋は仕事が非常に忙しい中、無理して来てくれた。
にぃは会社を休んで病院との話、保険屋さんとの交渉、加害者の会社の人との話など諸々をやってくれた。正直助かった。
事故に遭った本人は意外とケロリとしていたし、見た目には非常に軽傷に見えたので意外と安心していたようだったが、親族はどんな気持ちだったか想像に難くない。
慌てて車の事故などを起こさないでくれて良かった。看護婦さんも話していたが、意外と親族が慌てて事故を起こすケースがあるそうである。
おやじは、加害者が事故の翌日から仕事でしばらく出張しているという事に妙に納得がいかない様で、けいことかにぃがなだめるのが大変だったそうである。
後で聞いた話であるが、バイク仲間が集まったときにも、自分より彼らが加害者に対して腹を立てていた様である。
山の仲間達もお見舞いに来てくれたり、本当にありがたい。
何にせよ、色々と私の事を思って頂ける事を幸せだと思うし、とてもありがたいことだと思っている。
この様な親族、友を大切にしていかないといけない思った。
皆さんありがとうございます。

報告
転院が決まりました。
12/9木曜日に地元近くの病院に転院します。
一応事故から二週間近くが経過し、安静の期間はほぼ過ぎたので、転院先では理学療法(電気を当てたり、引っ張ったり、リハビリしたり)を行う事になると思う。
今入院している病院の看護師さん達はとても明るく楽しいひと達ばかりで、安心して入院できた。
皆忙しいので長話はできないが、ちょっとした会話に入院しているストレスも解消された。
いつもニコニコ彼ら、彼女らに感謝感謝。
退院したらお礼に来ないといけないな。温泉入りながら(笑)
12/6
14日目
<生まれ変わると言うこと>
難しいテーマを選んでしまった^^;
どうしよう。と、思ったことをいつもの通りに
院長先生が常に「三途の川手前」「これから先は余生だと思って」「本当に奇跡なのだから」「生まれ変わったと思って」と繰り返し話をしてくれていた。最近は先生もネタ切れなのかな。挨拶程度になってきたかな。
いやそうでは無いのかな。何度もかいているが、今回の事故は本当にあの世に行っていても不思議ではなかった。
そんな事故に遭ったにもかかわらず、自分がどの程度の事に巻き込まれたかを意識していなかった事が顔や態度に出ていたのかもしれない。
先生がしつこい位、同じような事を言い続けてくれたことには何らかの意図があり、それを言わなくなったのは私の中で何かが少しだけ変わったことが伝わったからなのかもしれない。
確かに何かが少し変わったかもしれない。でも何が変わったのかは今のところ解らないが、何かがかわったと思う。
今は病院という限られた環境の中にどっぷり使っているが、社会復帰したらもう少しはっきりするかもしれない。
でも本質は変わっていないのかな^^
そう簡単に生まれ変われるはず無いよね。でも、今回の事故は人生の中で大きな分岐点になったことは間違いない。
12/5
13日目
<保険金とは>
暇なので色々な事を考えてしまう。その中に、今回の事故について保険でどの程度補償してくるのかという事がある。
一番して欲しい事は、今のこの時間を返して欲しいということ。でもそれは無理。となると現実的にはその時間等をお金で補償してもらうしかない。
周りからは簡単に示談はするなとか、たんまりもらいなさい等とアドバイスを受けている。もらえる物はしっかりもらおうと思う。でも、この2月くらいの入院生活とそれから先もしかしたら一生付き合うかもしれない頭痛とか腰痛に対する補償とはどの様な物になるのであろうか。
ここ数年山登り、スキー等体を鍛えようやく筋力体力持久力とも一定のレベルまで到達した。でもここで数ヶ月入院及び安静にするということはそれまで築き上げてきたこれらの努力が無駄になってしまう。最初からやり直しである。でも加齢の問題もあるため、同じ期間では元には戻らない。
今年スキー板を新たに購入している。この板も今シーズンは使用不可であろうから、最初から年式落ちとなってしまう。ピッケルも購入したのに、ロープも購入したのに、全てが使用できないままほおって置かれてしまう。これらに対する補償はどうなるのか。
仕事もそうである。給料はそのままもらえるが、契約先とのつながりにおいて一月働くことによってもらえる金額が直接は減らされないが、目に見えない形で影響がある。また仲間の負担も増えてしまう。これらは金額には換算できないものである。それらの補償はどの様になるのか。
理不尽にも、全てが人の責任で起こった今回の事故、お金には換算できない影響があるし、客観的に計算できるものでは決してない。
タイムマシンがあれば、事故直前まで戻して欲しい。
12/4
 12日目
<家族への思い>
今回の事故はある程度、いや全てが自分にとって不可抗力だっだ。
でも、事故に遭ったことには間違いない。極論するならば、オートバイに乗っていなければこの様な事に遭うことは無かった。でもバイクに乗るなと言われてもねぇー
幸い我が家はけいこもバイクに乗っているので理不尽なことは言わないだろう。現に彼女も一昨年の北海道ツーリングで足を骨折しているしね^^
っで、本題となるが、今回救急車で病院に運ばれ、けいこに連絡をすることになったとき自分で電話しようと思った。
本来この様なケースの場合は病院から連絡が行くのが普通だと思う。でもそうするともの凄く心配すると思ったのであえて病院から携帯を使って電話した。電話口ではできるだけ明るく今回の顛末を話した。
入院の有無(今となっては入院しないことは絶対に無かったと最初から決まっていたと思うが)に関わらず病院までは来てもらう事になるので、出来るだけ不安な気持ちにさせないようにと思ったからだ。いつもの調子で「トラックにつっこまれちゃったよぉー」と。
にぃに連絡するときも同様だった。後から義姉に聞いたがにぃもかなり驚いていたようであった。
バイクに乗ること、山に登ることは通常に生活するよりも危険度、それも命に関わる危険度は比較にならない位高いと思う。けいこが北の大地に一人でキャンプツーリングに行っているときなどはやはり心配である。
でもだからといって、バイクを降りたり、山を辞めるつもりは無い。
その代わりといっては何であるが、出来うる限りの準備と装備と覚悟をするようにしているつもりである。
それが家族へのエチケットであると思うから。
(親族への思いは別の項で書こうと思う)
12/3
 11日目
<本当に三途の川手前まで行ったこと><奇跡とは>
院長から、看護婦さんから、警察からみな口をそろえてこういわれる
「奇跡だね」「良く助かったね」「本当ならあの世に行っている所だよ」と
この病院は高速道路近くにある緊急救急病院のため、高速道路での事故を起こした人が良く運ばれて来るという。
最初私は「そうなのかな」と漠然と思っていたが、こう周りから同じような事を繰り返し言われるので「そうなんだ」と思うようになってきた。
確かに、はねられた後に後続車にひかれたら、飛ばされた先がカードレールだったら、打ち所が悪かったら、確実にあの世に行っていたと思う。
三途の川の河原で、地獄のえんま様から蹴り返されたんだろう。
こういう事を奇跡と呼ぶのかな。
でも奇跡とは何なのかともう一度考えてみた。
奇跡を辞書で引くと「常識では理解できないような出来事」だそうだ(GoogleWeb辞書より)
今回の事故がこの程度で済んだ事を自分なりに分析すると
・前述したように運が良かった(奇跡というより偶然かな)
・不意をつかれたので、変に体に力が入っていなかった(同じく奇跡か微妙)
・プロテクターなどの装備をきちんとしていた(奇跡ではない)
・普通の人より筋力、体力等が勝っていた(奇跡ではない)
この様に考えると、原因が100あるとその内大部分の要素はほぼ必然というか、本人に起因することで、残りのほんの少しの事がどちらに転ぶかが、奇跡かそうでないかを分岐する事なのかなと思う。
山の事に例えても同じだと思う。事故が起きるほとんどの原因は、不注意、準備不足、人為的なミスなどであり、奇跡の生還とよく言われるケースでも、最悪の事態に対処できる事前の準備、緊急事態への対応能力、経験などの本人に起因することによってもたらされるケースがほとんどであると思う。
(でも新潟中越地震で岩の間から無事救出されら子ども等に事例は本当の奇跡だとは思うが)
ここまで書いてきて、奇跡とは「起きるもの」では無く「起こすもの」では無いかと思う。
精一杯の準備、心構えをして、何かが起こったときに最後の最後の分岐で、良い方に転ぶことが奇跡と言われる事なのかなんて思ってしまう。
まぁ、今は結果論でこの様な事を書いているのでなんとでも言えるが、これから「何か」をする時は(当然奇跡を期待しないで済むにこしたことはないが)出来るだけの準備と覚悟をして、万全の体制で「奇跡」を待ちたいと思う
12/2
10日目
このままでは、徒然入院編となってしまいそうなので、これから掲載していくテーマを考えてみた。
今回の経験はこれから二度と無いと思うし、あって欲しくない。でもこの様な経験をしたことは私の人生にとって、非常に重要な分岐点になると思う。
以前に書いた事と重複することがあると思うが、一応次のようなテーマを決めて書いていこうと思っている。
・加害者への思い
・本当に三途の川手前まで行ったこと
・奇跡とは
・家族への思い
・保険金とは
・生まれ変わると言うこと
・親族の、友の思い
・ネットで語ることについて
・加害者になるかもしれないこと
・オートバイについて
・人生観について
このテーマは昨日の夜ぼんやりと考えていたことなので、書き始めると変わるかもしれませんが、今回の経験から自分で正直に思う事を記録として残していきたいと思う
っで、まずは一番最初のテーマから行こう
<加害者への思い>
正直無き持ちとして、これを書いている今の時点で加害者への怒り恨み辛みは無い。自分でもとても不思議である。
何で平然としているかと自分なりに分析してみると・・・
今自分でも解らないので、その時の事を思い出すためにも、加害者の人がどの様な態度に出ていたかというと
あの日(11/23)、私は病院の処置室で検査待ちをしていたときに、看護婦さんが「加害者の方が来ているようですよ。どうします」と聞かれた、私は「お会いしますよ。呼んでください」と言い、加害者の人と会った。
どんなことを言うかと思ったら「大丈夫ですか?」と、私はどうして事故になったの?と聞いてもあまりまともな返事は帰ってこなかった。これから事情聴取だと言うので警察に行ってもらった。夕方もう一度来ていたので再度会うことにした。開口一番「申し訳ありませんでした」と同乗者も同様に謝罪してくれた。少しお話をした後に私は「もうお帰りになってください。仕事もあるだろうし」とお帰り頂いた。本人との遭遇はこれだけである。今彼は仕事で山口に行っているようで、12月半ばに戻ってくるそうである。
ここまで書いて自分がどの様に思っているか、何となくはっきりしてきた。
今のところは「相手にしたくない」と思っているようである。
ただ彼に対してその時も今も思うこととしては「お互いに人生を棒に振らないで良かったね」かな。
これから彼がどの様な態度を取るか、どの様に接してくれるかによって、冷静に対応していこうと思っている。
事故を起こしたときは、気持ちも動転していると思うし、被害者のこと、加害者になった自分の事、仕事のこと、家族のこと、色々と頭の中を駆けめぐっていたと思う。
でも次回お会いするときは冷静に色々と考えてくれていることと思う。
私を怒らせるような事の無いようにと願いたい。

と、まぁ初回はこんな感じです。
明日以降順次アップします
12/1
 9日目
まずお約束のコルセットの作り方について
作り方解りませんでした。体を起こして色々な箇所にサイズを測っただけでした。早ければ金曜日には届くので、装着感などは書いてみたいと思います。
今日は入院生活について
そろそろ入院一週間を過ぎ、体を動かすことが出来るようになって数日が経ってきた。まだ頭痛はするし、背中が痛いがそれを除けばほぼ復活。でも常に寝ていなければならないが・・・。
朝6時起床、7:30頃朝食、12:00昼食、17:30夕食で、21:00消灯というサイクルで動いている
このリズムにもだいぶ慣れてきた。午前中はPC片手に、午後は本を読みながら時々PCを見、夜はテレビを見て、消灯間際には又本を読む。意外とこれで一日をそれほどストレスなく過ごすことが(今のところ)出来ている。
少なくともあと一月はこの生活が続くので、ただぼんやりと時を過ごすのではなく、何かもっと有意義な事を探していきたいと思う。
誰か入院中の過ごし方などに良いアドバイスがあれば教えてください。
あと入院生活について聞きたいことがあれば質問してくださいね。(正直ネタ考えるのが辛くなりそうだから(笑))
それから、今日から一時中止していた<徒然草>も再開したいと思います。
11/30
8日目
 
昨日検査結果がでた。
まぁ妥当な結果というか、良くない結果というか。診断は背骨(胸の後)の圧迫骨折だった。
4本の骨が骨折。骨の中に内出血もできているということ。まぁ、あれだけの事故を起こして手の指だけで済んでしまうことの方が異常なので、まぁ良しとしよう。
今日は背骨を保護するためのコルセットを作成する。それができるまで約一週間はここで入院。来週半ば以降に地元へ転院。その後恐らく12月末まで入院し、その後自宅療養を経て、1月中旬から下旬に社会復帰になる予定。
でも今後の回復具合でどの様になるかは未定です。
やはり、鉄のかたまりと喧嘩しても勝てないことを実感しました。
まぁ気を取り直して、のんびりゆっくり入院生活を楽しむしかないよね。でも昨日の夜は、締め切りが間近な仕事のこととかを考えてしまって、小心者のちぃにぃとしては少し寝付きが悪かったかな。
でも、外傷的な不確定事項はほぼ出尽くしたかな。いや今日肩が上がらないのでMRIを取るんだ。
でも寝不足だからMRIで暇つぶし&睡眠にちょうど良いかな。
そうそう、手のひらは骨折はなさそう。でも靱帯がのびている可能性が少しあるかも。でも左手だしキーボードが打てれば良しとしよう。スポーツ選手ではないしね。
なんだか今日は暗い話ばかりになってしまったけど、本人は意外とケロッとしているのでご心配なく。
何もかも経験経験。常に前向きに、これで済んだのでラッキーと思っています^^
看護師さんとも仲良くなってきたので、ちょっとした会話などを楽しんでいます。
明日からは、コルセットってどう作るの?とかをレポしていきますね。(できたらね(笑))
じゃぁねぇー
11/29
7日目
昨日看護婦さんがPCをのぞき込みネットできるのね。と聞いてきた。
そうなんですよ。暇なので、本もテレビも飽きるしね。といっていたら、「退屈に感じるようになってきたのは良い傾向だね」と、「っで、食事は美味しい?」と聞かれたので「美味しいですよ」と言ったら、「じゃぁまだまだだね」だって。
病院の食事は普通の人には余り美味しく感じないので、これを美味しいと感じるならまだ病人ということみたい。
はぁー先はまだ長いのかな^^;
でもここの病院の食事は味もしっかりしているし、結構美味しいんだけどなぁ〜

今日は調子が良いのでもう少し
運命ってあるのかな
朝起きるのが1分遅ければ、どこかの信号に一回捕まっていれば、コンビニで休憩を後一分余計に取っていたら、途中のSAで一休みしていたら、数え上げればきりがない。
もちろん自分だけでなく、相手も同様
あの日、あの時、あの場所へ、両者がまるで運命の糸に導かれるように集合して、今回の事故が発生してしまった。
まるであらかじめ決められていたかのような偶然の産物。自分の力ではあらがうことの出来ない事。
これが運命なのか。いや、ただの偶然なんだろう。
11/28
6日目
 
昨日は再びMRIにかかった。約40分の憂鬱な時間だと思っていたが、どうやら居眠りをしていたようであっという間に終わってしまった^^。これで一応全ての検査が終了したので後は検査結果を待つだけである。
月曜日にはある程度結果がでるのでは無いか。今のところはかなり楽観的な感触であるが、のんびり待ちましょう。
背中の痛みも局所的になってきて結構楽になってきた。でもやはり寝起きは少し辛い物があるのと、体を捻る動きが辛いかな。でも順調順調。今のところはね。でも左手の手のひらの痛みが取れないのが・・・
昨日の夜はなかなか寝付けずにいた。そろそろ体調も戻ってきていることと、一日中ベッドでゴロゴロしているのでストレスがたまってきているのかな。この状況と何とか折り合いを付けないと辛そう。
HPにメールに色々な人から励ましのお便りを頂いて非常に心強く思っています。
この場を借りてお礼を申し上げます。
今日はこれまで、なんか疲れた^^;
11/27
 5日目
肩胛骨の状態は良好だった。残すは、胸骨と手のひらだけかな。
今日は午前中に再びMRIを受けることになる。でもこれが40分もじっと巨大磁石の間に挟まれるのでちょっと苦痛。
でも我慢我慢。
昨日肩胛骨のレントゲン写真を見せてもらったが、CTで撮影したが3次元立体映像としてのレントゲン写真が写っていた。まるでコンピュータグラフィックの映像の様に綺麗な3次元になっていた。最近の医学の進歩は本当に凄いと思った。って、今や当たり前なのかな。
昨日の夜あたりからだいぶ背中の痛みも取れてきて夜も結構長い間寝ることが出来るようになってきた。
でも、体を起こすような動きはまだまだ不自由であるが、順調に回復しているかな。このまま行けば来週火曜日か水曜日には転院ができそう。そうすればけいこの負担が軽くなるので何とか今日の検査も何ともないことを祈っている。
不思議な事として、一日中ベッドに横たわっているが、結構眠くてしようがない。時々猛烈な睡魔が襲ってくる。夜も消灯9時であるが、その時間を過ぎると眠くてしようがない。
やはり体の本能として睡眠によって体力の回復を自然と図っているのかなと思う。
ようやく先が見えてきたかな。それに、左手を骨折のために固定しながらキーボードを叩くスピードもだいぶ速くなってきたかな(笑)

それから、この日記を書いている理由ですが、一部不謹慎なと思われている人もいらっしゃるかもしれませんが、家族もこの日記を見ていることだし、これだけ元気になっていますというアピールをかねて書いています。
それから、一番の理由が「暇」なんです。体は不自由ですが、暇で暇でしようがないんです。
ご理解くださいねぇ。m(_ _)m
11/26
4日目
昨日検査結果がでた。無事背骨の骨折は無いとのことだった。一安心。
でも検査はMRIという大きな磁石の間に挟まれて40分じっとしてるというとても辛い検査。胸骨と首の検査でおのおの40分で合計約1時間30分ほどじっとしていた。磁石の効果でとても暑くなり、途中で暴れたくなるほどだったけど、そこは大人として我慢我慢(笑)
検査結果がでるまでは、起きあがることは禁止。食事も歯磨きも介護を受けなければならない。
いやいや、あまり良い物では無いよね。でも、さすが看護婦さんは上手でした。食べ物を飲み込むタイミングに併せて絶妙のタイミングで、食べさせてくれる。さすがプロです。
しばらくすると相手の保険屋さんが訪ねてきた。少し話をしていると、にぃが登場して、保険屋さんの首根っこをひっつかまえて物陰へと連れて行った(笑)
色々と丁寧なお願いをした様子で、帰るときはしどろもどろになっていた。でもおかげさまで色々と便宜を図ってくれる事になりました。
検査結果について説明を受けるときに婦長さんが一緒に来てくれていたが、これぞ婦長さんというとても豪快なひとだった。
PCを使っているのが解ると「パソコンなんて禁止です。」と本気とも冗談ともつかない顔で言われるし、ゆびの骨折が・・・と言うと、「それだけで済んでるんだぁー」と皮肉と愛情たっぷりの言葉を書けてくれたりした。
これぞ婦長さん。って感じだった。
背骨に異常がないとのことだったので、今日から車いすでの移動が許可になった。トイレもいけるようになった。
尾籠な話ですが、横になったままおしっこをすることの難しさは、言葉にすることが出来ません。でないことでないこと。幾らがんばっても、結局むりだった(笑)
看護婦さんには、がんばるしかないよといわれたが、あのまま絶対安静が続いていたらと思うと・・・
にぃとけいこと色々と話をしていて、バイクの話になったら時に、義理の姉がから一族へバイク禁止令が発令されたようである。まぁ、しょうがないかな。でもバイクを完全に辞めるのは中々できないので、粘り強くお願いをするしかないかな。
でも、今回は相手が100%悪くて・・・なんて言っても無理だよね。
ゆうちゃん、本当にご心配をおかけしました。ごめんねm(_ _)m

今日は肩胛骨と手のひらの精密検査、もしかしたら念のために再度背骨の検査をするかもしれません。
それから警察が事情聴取に来る予定です。
それから一番会うのが恐縮である、義理の両親が午後に来る予定。
なんと言えばよいか、今からちょっとブルーです^^;

先ほど背中にシップを貼ってもらい背中が少しは楽になってきたかな。
夜中中、背中が痛くて寝れない日々が続いています。
11/25
3日目
病院は地域でもかなり大きな救急病院の様であり、MRI、CTとか何から何までそろっている病院である。
早速いわゆる「ER]につれていかれ、内臓をエコーなどで検査され、一通り問題が無さそうだと分かると処置室にいき、色々な検査を続ける。一応この時点でけいこには連絡を取り、事故に遭った事を伝えた。
処置室で待っている間に急激に気分が悪くなり、血圧低下、頭がボーとしてきた。早速点滴をうち、何とか危機脱出。
目立った外傷がないが、頭を打っている事と、内臓を強打しているのでさらなる精密検査を行う。やはり内臓(膵臓)のショックがあることが疑われたのでこの時点で入院が決定。けいことにぃに連絡を取り、入院セットを持ってきてもらう。
検査をしながら看護婦さんと話をすると「高速道路でバイクで事故に遭ってこれだけで済んでいるのは奇跡だよ」「本当に九死に一生を得たとはこの事だよ」と冗談ともつかない事を言われていた。
確かに、車に後からはねられて追い越し車線に飛ばされて後続車に踏まれるなどしたら今頃天国でこのページを打っている所だとしても不思議は無い。また骨折なども(今の時点)では無さそうなのもほぼ奇跡といえるかもしれない。
あとで警察の人が来て「あなたが助かったのは奇跡ですね。でもプロテクターを肘肩背中ときちんとしていたので助かったのだと思う。あなたはしっかりしたライダーですね」と褒められてしまった。普段からバイクに乗るときは、転んだら痛いので出来るだけプロテクターは付けていたのが大正解だったようである。良かった^^

そうこうしているうちに、院長先生が診察してくれて「うーん。膵臓がやはり心配ですね。明日の様子を見て緊急手術するかどうかを決めます」と言われた。やっぱり重症なんだなと自覚する。
入院はなんとICUになってしまった。やっぱりこれって大変なことなんだなと再認識。
やがてけいことにぃがやってきてくれた。狛江に住んでいる両親も来てくれた。
冗談を喋りながら無事で生きていた事を感謝する。でもけいこが意外と冷静だったことに一安心。内心は動揺していたかもしれないがそれを見せない所はさすがちぃにぃの細君だね(笑)

その日は遅かったので皆は近所のホテルに泊まる事にして翌日を迎えた。
夜中体中が痛くて痛くて、少し眠っては痛さで目覚め、熟睡ができなかった。辛かったなぁー
翌日、院長先生に診察してもらい、何とか膵臓の問題は無さそうだという診断をもらった。良かった。手術したら最低一月は無条件入院決定だったのでまずは一安心。

で、事故を起こした人の会社の社長さんもお見舞いに来てくれた。とても感じの良さそうな人で、こちらもちょっと安心。

午後になり整形外科の先生に診察をしてもらって、左手と首と腰のレントゲンを撮影してもらう。
診察の結果は・・・・。まずは左手の指にヒビが入っているとのこと。真っ青に腫れているのでまぁそうかなというところ。
それよりもしかしたら背骨が骨折している可能性があると言われ、明日もう一度精密検査をすることになってしまった。
背骨が骨折?????
いやはやこれは重症も重症。まぁ心配していてもしようがないので、のんびり構えて待つことにする。

夜になり少し風邪気味と言うこともあり、頭痛が激しく熱も高いので処置をしてもらいなんとか寝ることが出来た。
朝になり、朝食を摂ろうとするが背骨への影響を考えてベッドをまっすぐに立てられない。
看護婦さんにご飯を食べさせてもらい、介護つきで歯を磨いて今を迎える。
これから精密検査となるが、果たして結果はいかばかりか。
最悪二ヶ月ほどの入院生活を余儀なくされる可能性もあるが、生きていられる事に感謝感謝。
11/24
2日目
そもそも我が愛車は最初から呪われていたのか。
バイク購入してすぐにハンドルを交換した。交換するとヘッドランプがつかない。バイク屋さんに見てもらうと、ハイビーム切替スイッチに不具合があったようであり、ハンドルを交換していたのでしっかりと交換工賃を取られた。
そもそもこれがケチのつき始めなのか。
二番目の事件は、バイクの慣らし運転を済ましてから河原に走りに行ったときのこと。
ジャンプとかダート走行とかをさんざん楽しみ、さて帰ろうかと思って最後に新しいコースに行ったとき、以前使用したことのあるジャンプ台を使ってジャンプしようとしたところ、着地に失敗し、腰を強打してしまい、松葉杖生活となってしまった。
三番目の事件は、購入して半年も経たない間に、XRの新型が発表されてしまったこと。バイクのデザインからサス等大幅な変更であり、一気に旧型車になってしまった。
でもめげずに、愛車とともに色々な場所に出かけ、思い出を重ねていった。
最初の夏に北海道に行く予定が中止になり、翌年へと回した。
二度目のGWはバイクのレポにも載せた「ぼくの細道 Feel and Meet」では色々な物、人、食と愛車とともに出会いを重ねた。
で、テンパイが今年の秋の北海道ツーリングの直前の温泉ツーリングでのこと、愛車のエンジンが死んでしまった。
幸いにぃの湘南BAJAをお借りして北の大地を堪能することが出来たが、愛車を北の大地へ連れて行ってやることが出来なかった。
冗談ともなく、こいつと北の大地に行くことができないのかなと思っていた。
で、とうとう本番を迎えてしまった。
バイクも修理から直り、慣らし運転をかねて、所属山岳会の雪崩講習会に参加するために東北自動車道を走っていた時のこと。
慣らし運転とは、バイクのエンジン回転数を低く保ったまま走ることであり、新車の時は高速道路を使用することは無いが、今回はエンジンのみの慣らしを行うために高速自動車道を有効活用しようと思って、のんびり80km弱のスピードで走行車線を走っていた。
矢板ICを過ぎ、西那須野ICを過ぎた140.6kmポイント(場所は後で警察の人から聞きましたが)
のんびり80km弱で走行して、どこでお昼を食べようかなと思っていたところ、気がついたら地面に横たわっていた。
誰かが「大丈夫ですか」と叫んでいる。ここはどこ?自分は一体何をしているのか?何でこんな事になっているのか?
頭が混乱していて状況を正確に把握できない。でも少しづつ状況が理解できはじめ、どうやら事故に巻き込まれた、というより自分が事故に遭ったようである。
バイクを見るとリアタイヤがボロボロで地面にたおれている。自分の足を見るとオーバパンツがボロボロになっている。後にいる車を見るとフロントガラスに自分の頭が当たったためのひび割れと車体もへこんでいるのが見えた。
つっこまれたんだ。でも何故?80kmで走っていただけなのに。
バイクを見ると横倒しになった車体からガソリンが漏れている。何故か冷静に、というより習慣からか、ヒューエルコックをOFFにした。それでもガソリンが漏れているので周りの人に言ってバイクを立たせてもらった。
それから30年振りかの救急車に乗って病院へ搬送。
長い長い一日が始まった。